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宮間あや、再び

 

 なでしこジャパン、残念でした。

 ‘たられば’を言っても詮ないことだけれど、優勝の可能性は、でも十分に見えた。

 

 で、この機にいろいろネットサーフィンすれば、ヒットするのは、やはり2011年の動画。

 もちろん澤穂希の活躍がクローズアップされるが、それに劣らずしびれるのは宮間あやのプレーの数々。そしてその人柄も。  ☞

 今やさまざまな角度の動画や、当時の選手たちの発言などもアップされていて、あらためて宮間の素晴らしさが知れる。

 

 まず、なんといっても、アメリカとの決勝。

 後半に先制されたあとの宮間の同点ゴール。

 当時は宮間がどう蹴ったのか、あまりに素早いプレーだったので、よく分からなかった。しかし、仔細に観れば、このゴールはつくづく見事だ。

 右サイドから永里優季がゴール前に蹴り込んだボールが、丸山桂里奈とアメリカ選手が交錯してこぼれる。別のアメリカ選手(11)がクリアしようとするがハーフラインから駆け上がってきたMFの宮間がそれをカットする。至近距離から蹴られたボールを瞬時にトラップして勢いを殺したのも見事だが、さらに素晴らしかったのはそのあとだ。体の前でワンバンドしたボールを蹴ろうとするが、GKのホープ・ソロが目の前に立ち塞がっている。

* 画像は拡大して見られたし。

 だがここでソロの重心が左足にかかりかけているのをすでに見切っているのか。

 とっさにゴールの左隅に蹴りこむことを選択する。

 体を左に倒しながら左足をボールの右側に入れる。

 左足のアウト(外側)で蹴りだそうとする瞬間。


 弾んだボールの上りはなを…

 倒れこむ勢いも利用して蹴り出す。

 みごとにGKの逆を突く。

 剣を突き刺すようなゴール!


 この角度から観るとさらによくわかりますね。 

 

 

 ゴールを決めてすぐ、宮間は“澤さん、あと1点で勝てるよ!”と声を掛けた。澤は、あの一言で同点でいいと思っていたが最後まで諦めない気持ちになれたと語っている。指本1本立てているのはその時だろうか。

 そして転がったボールをかっさらうように拾い上げると、ピッチ内の仲間の祝福もそこそこに、控え選手たちのもとに駆け寄った。

 

 

 

 

 再び勝ち越された延長戦後半の澤穂希の‘神がかり’ゴール。

 このお膳立てをしたのは宮間の正確無比のコーナーキックだ。

 宮間が蹴る前から澤はボールが飛んで来るポイントを確信して飛び出している。(ヘディングにならないような低い弾道で蹴った、と宮間はいう。)

 澤がアメリカ選手より鼻の差早くボールに届く。(澤は生涯で最初で最後の‘ゾーン’に入ってボールがスローモーションで見えたと語っている…!)


 ゴール! 蹴った反動でひっくり返っている澤。


 

 

 そしてPK戦。

 海堀あゆみがアメリカのトップをスーパーセーブしたあとの日本の一番手は当然のように宮間あや。

 ボールに走り込む宮間。だが、まだソロは重心を動かしていない。

 脚を振り上げる直前。ここでソロの重心がわずかに右脚にかかったのを見切ったのだろうか。

 蹴りだす直前。ここではもはや弾道を決めているはずだ。ソロの重心は完全に右脚に。

 あざやかに逆を突く。

 見切られたソロは跳ぶこともできず立ちすくむ。


 

 大会後に宮間は次のように語っている。

ホープ・ソロ選手とはすごく仲がいいですけど、あの瞬間だけは二人だけの空間じゃないですか。こんなことはめったにないなと思えて、W杯の決勝で彼女と向かい合うなんて、もう二度とないと思ったので。もちろん緊張はしていましたし、集中もしていたんですけど、どこかで楽しんでいた、そういう感覚はあります。…楽しもうって自分でしたわけじゃないですけど、自然と楽しくなってきたというか。…その緊張感だったり、みんなを代表して初めに蹴るということに対してですね。

(BS朝日:二宮清純のインタビュー)

 

 また、フリーキックやPKについて、次のように述べたこともあった。

自身の見栄や私欲を考えたらプレッシャーに潰されます。でもチームのみんなの思い、日本で応援してくれるみんなの思いをボールに送るんだって考えてるから、大丈夫なんです。         (江橋よしのりの取材)

 宮間あや以外だったら、ただキザに聞こえるだけだろう。

 

 

 

 4番手の熊谷紗希のPKが突き刺さって勝利が決まる。

 歓喜のなでしこジャパン。

 だが、ふっと宮間はその場から離れていく。


 歓喜の輪に入る前に、消沈するアメリカ選手たちに歩み寄って、一人ひとりとハグしていたのだ。

 当初このことはなんの報道も話題にもされなかったが、GKソロとエースストライカーのワンバックが、アメリカのテレビ番組に出演した際にこのことを話して、人々に知られることとなった。

 宮間は2年ほど前に永里優希と語らった動画(って音声だけだったけど)で、次のように話している。

私は基本アメリカ生活(宮間は2009~10にアメリカリーグに在籍)はルームシェアだったから、あそこのにピッチに立っている人と住んでいたこともあるし、ほんとに彼女たちが女王としてありつづけなければいけないプレッシャーとかと毎日どれだけ戦ってきたかというのを見てたから、その痛みにちょっと影響されたのかな…

(「しゃべゴール」)

 また、同じ動画で、当時ドイツでプレーしていた永里が、対ドイツ戦後 敗退したドイツ選手たちの映像を見て“やだー、ドイツの選手たちの顔見ると泣けてきちゃうよ”というのを受けて、“わかる、わかるよ、それ、ほんとにそうだよね。 …サッカーってつらい… ”と宮間は言っている。

 “自分たちだけでサッカーをしたわけじゃないし”“仲間がいて、対戦相手がいて、はじめてサッカーができる”とも語っていた。

 

 

 

 

 準決勝のスウエーデン戦。

 それまで控えだった川澄奈穂美が2得点をあげて一躍シンデレラガールになった。

 その1得点目の宮間あやのアシスト。

 大野忍が横ドリブルからフリーになっていた宮間にパス。それを見て川澄が手を挙げてパスを要求する。川澄がその時の模様を語っている。

もう、あやにパス行ったらさ、それはもう1点みたいなもんじゃん。…あんな‘どフリー’良い状態であやにボール持たしたら、良いボールしか出さない。で、あたしはほんとに中にいて、あ、もうここに来たら絶対決めれるって思ったから、もう、ほんとにマジで、もう、まんま、もうイメージどおりのボールで… スウェーデン人大きいじゃん、もうそんなの関係ないないんだよね。だって、あたしちっちゃいし。…もうここに来ればいいので、ここに来たんだけど、そのまま右足振り抜いてファー(ポストの遠い方)にズドォ~ンっていうイメージまで完璧だったの。

(「エースチャンネル」)

 川澄の見込み通り、パスを受けた宮間は、それを一旦トラップすることもなくそのままダイレクトに蹴り出す。ボールは長身のスェーデン選手の頭を越えて、川澄が走り込んでくるピンポイントに“ドンピシャで”落ちていく。

 だが、この川澄のゴールにはオチがつく。

 再度、川澄のはなし。

よぉーしって振りかぶったら、なんか後ろからボンッって押されて、ええってなって“いぃや、これ、ファールだろぉ!”って、ゴロンってなったときに、脛にスンッて当たって、相手の股にサンッて通って、キーパーの手のところもスンッて抜けて、ゴロロロォォン、ファァァル、入ったぁぁ、みたいな感じだった。…だからなんか、‘結果オーライ’みたいな… (笑)

(「エースチャンネル」)

 当時のアナウンサーもこの状況はよく飲み込めなかったらしく、“川澄の泥臭いゴール!”と実況していた (≧▽≦) また今も坂口夢穂は“あれ、オウンゴールやろ”と川澄をからかうそうである (^▽^;)


 

 

 スウェーデン戦、川澄の2本目の30mゴール(日本3得点目)。

 またもフリーになった宮間にボールがわたる。

  安藤梢が走り出す。GKが飛び出して処理するしかない、安藤とGKが交錯する絶妙のポイントにボールが蹴られる。

 

 安藤とぶつかったGKは中途半端なクリアしかできず、蹴ったボールは川澄の真正面に。

 

 川澄がどか~んと蹴り上げたボールはGKたちの頭上を越えて30m先のゴールポストに吸い込まれる。

 

 川澄の宮間評。

あやは最初に蹴るところを決めてないんです、たぶん。でも、パッと見たときに、あ、どこが空いているっていうのと、味方が動き出したのと、相手がもちろんそれについてきている感覚とかで、ここがベストだって思った瞬間に思ったところに蹴れる選手なんですよ。左右であんなに正確なキックを蹴れる選手は男女あわせても世界一だなって、あたしは思ってるんですけど。だから、あのパスが出せたし、だから、あのゴールが生まれたんだなと思ってます。

(鈴木啓太との対談動画)

 

 

 

 なでしこの優勝が、強烈なインパクトをもたらしたのは言うまでもない。

 

 彼女たちは3つの逆境を跳ね返した。

 

 まず第一に、この年 日本を襲った東日本大震災。

 永里優季は、このときの気持ちを(10年後に)問われて次のように語っている。

どちらかというと、サッカーやってていいの、みたいな雰囲気の方が強かった気がする。

 また、宮間は ー

優勝するぞ、というよりは、優勝するしかない。優勝しなくちゃ、行っちゃいけないんじゃないかくらい… なにしに行くの、こんな大変な時に。行くなら優勝するしかない…。

(「しゃべゴール」)

 鮫島彩のように、原発のパートタイマーとして働きながら東電サッカー部に所属し、チームが活動を自粛した選手もいた。

 

 第二に、圧倒的なフィジカルの差。きゃしゃな‘大和撫子’たちがまさに体を張っていかつい外国娘に吹っ飛ばされながら立ち向かっているという図だった。

 宮間は、一昨年にWeb Sportivaのインタビューに答えて、こんなことを言っている。

シャノン・ボックスのタックルが(阪口)夢穂の足に入るとかを見るじゃないですか。『夢穂が喰われる。避けて~!』って思うんですけど、夢穂は当然避けない!みたいな(笑) そういうのが、本当に楽しかった。

 

 第三に、不利なゲーム展開をしのぎ跳ね返しながら勝ち抜いてきたこと。

 とりわけ決勝のアメリカ戦では先制され、延長戦に入って再度突き放されながらも気持ちは折れなかった。延長前半でワンバックに強烈なヘディングを決められたときも、川澄は“アメリカすげぇ~”と思いながら、永里に“このくらいのほうが楽しいよね”といい永里も“そうだね”と返したという。そして、あの澤の神がかりゴールが生まれる。ホープ・ソロは、“なにか特別な力が彼女たちの背中を押しているように感じた”と語っている。

 

 

 

 宮間が澤の後を引き継いでなでしこのキャプテンの責を負い、翌年のロンドンオリンピック、'15年のワールドカップの準優勝に導いたのは周知のとおり。

 しかし、'16年リオオリンピックの出場を逃し、同年、高校生の時から愛着をもって在籍してきた岡山湯郷Belle* を理不尽ないきさつから退団することになる。このことに関して宮間は“サッカーにたいして誠実でありたい”とコメントするほかその経緯をいっさい語ることなく、表舞台から姿を消してしまった。

 

 しかし、最近になってからだろうか、かつての仲間たちとの動画等にリラックスした穏やかな姿が見られるようになった。なんだかほっとする。(日本チームの監督・コーチとして復活してもらいたいという期待もあるのだが、野菜をつくっている、などとも語っていたな。)

 重責から離れて距離を置くようになって、やっとかつてを振り返る気持ちになってきたのだろうか。動画で“10年前の'11年大会はどんな意味を…”と問われて、“…思い出の中の宝物かな…動かない、もう…これ以上なにか変わることがない”と答えている。(「しゃべゴール」)

 

 また、ぼちぼち公式の場にも出てくるようになって、先日のワールドカップ スペイン×イングランドの決勝では、キックオフ直前のトロフィープレゼンターとして登場したという。FIFAにとっても宮間あやは特別なレジェンドなのだ。         ☛ 超ワールドサッカー

 

 彼女には、ぜひ、サッカーの第一線の現場に戻ってきてもらいたいものだ。

 

 

 

 

* 宮間は中学3年生から在籍した女子プロリーグ「日テレ ベレーザ」を高校2年生で退団し、恩師でもあった本田美登里が新たに立ち上げた「岡山湯郷Bell」に所属する。

 ベレーザ退団の理由については“地元(千葉県大網白里町)から東京稲城市での練習に通うのに往復7時間かかり負担となったから”とされている(Wikipediaなど)。だが、17歳の時のインタビューで彼女は次のように語っている。

『ベレーザ』はプロリーグでも1、2を争うチームだから競争率が激しかった。リーグ戦の前になるとポジション争いで、自分と同じポジションの人を平気で傷つけるような行為をする。そうまでしないとダメなんだという監督の方針についていけなかった。『おまえは上を目指す気があるのか』と言われたけど、人を蹴落としてまでやりたくなかった。逃げるわけではなく、サッカーはチームプレーなんだし、そこまでするのはちょっと違うんじゃないの、って思いが私のなかにあったんです。  (「シティライフ」)

 まだ高校生だった宮間は、週末ごとに千葉の九十九里浜から岡山の温泉町まで通うようになる。稲城市の比ではない。おそらくのちにその言動が耳目を引くような選手になって、他を非難したとも受け取られかねない本音は封印したのではないか。宮間らしい心遣いだろう。

 高校卒業後、宮間は温泉旅館の住み込みの浴場清掃アルバイトをしながら中心選手として「岡山湯郷Bell」を牽引する。発足当初なでしこ2部リーグだったBellは、1部に昇格し優勝を争うようなチームになる。日本代表を揃えたような他チームからの引合いもあっただろうが、彼女はあくまでBellにとどまった(2年間だけアメリカリーグに移籍している。)

下手な選手がいるなら、巧くなれるよう助けてあげればいい。私は、試合には勝ちたいけれど、ただ強いだけのチームに入ってチャンピオンになりたいとは思わない。『一緒に戦いたい』と思える仲間がいるチームで、日本一を目指したい。

(「サッカーダイジェスト」)

 

 宮間退団後、岡山湯郷Bellは2部に降格し、それから昇格していない。

 

 

 

 “生きてきたなかで、自分を個人として評価してほしいという感情には一度もなったことがない。あの…失礼のない範囲の言い方をしたいのですが、どちらかというと嫌いなんです。やっぱりサッカーはチームが一番重要。(Number Web)”と宮間は述べている。

 

 宮間あやについてあれこれ喋々したのは、それこそ余計なお世話というものだったか。