装幀つまみ喰い   工事中

― ねぶり箸・まよい箸・さぐり箸

 

 本はスマホで読み、音楽は配信で聴く。本も音楽も単なる‘情報’なのだろう。紙の本や真空管アンプとアナログレコードにこだわる私などは、まさしく時代遅れの旧人類である。悔し紛れに、そんな奴はサプリメントとポカリスエットで生きていくがいい、と憎まれ口のひとつもききたくなる。

 だが、本はただの情報か、という異議はこの際はっきり申し立てておきたい。函から取り出し、表紙をめくり、見返しの紙の感触を確かめ、内扉を見て目次のレイアウトを楽しみ、本文の文字組みを愛でる。本は物-モノ-、すなわち工芸品なのだ。

 そこで意地になって、本棚からこれはと思う装幀を引っぱり出してみる。もっぱら個人的な嗜好のままに食指を動かした本ばかりだから、もちろん些かの偏向がある。いや、かなり、ある。

 装幀の世界の全貌などとはとても言えるものではないけれど、まあ、そのほんの一端を垣間見ることはできる、とくらいは言えようか。 

 どこまでが‘装幀’の範囲か。栃折久美子は“見た目にちがうことはぜんぶデザインの対象”だと考えていると答えたら、どういう意味かと問い返されたという(「装丁ノート」)。

 だが、そのすべてが装幀家に任されるわけではない。端的には文庫本のようにフォーマットがほとんど決まっていたら、装幀家の仕事はカバーくらいだ。なんらかのイラストをつかうようなら、その手柄はイラストレイターと折半だとさえいえそうだ。

 すなわち、その本のどこまでが装幀家の責任においてなされたものなのか見極めがたい所以だが、とりあえずはその名のもとの仕事と見做しておくほかはない。以下に掲げる画像も、したがって表紙だけではない、見るべき各所をも掲げている。紙質まで表示できないのは残念だが。

* 著者・著作名の後に記した年月日は初版発行の日付。画像は必ずしも初版本ではないが、その装幀作業がなされた時代の雰囲気を推し測る参考として示す。

 

 

白井晟一 〈1905-1983〉

倉橋由美子 夢の浮橋 1971.5/20 中央公論社

 栃折久美子がその装幀を“数々のすぐれた仕事”と評した建築家。“白井晟一氏の装丁の特徴を一言で言うと無彩色。そして、ほとんど文字だけ。無彩色の容れ物の中から、中身の作品世界が立ち上がってくる。(「装丁ノート」)”

 表紙は四方をパラフィン紙とともに折り込んだ‘フランス装’。(栃折によれば、本来こういう装幀は後に厚紙表紙でルリユールされるための仮綴本だそうだ。)タイトルは金箔押し。見返しも白色。

 (なお、この本のなかでは“題字 白井晟一”とのみ表記されていて装幀者は明示されていない。栃折は白井の他の装幀から、この本もその手によるものと推定しているようだ。)

 

吉岡実〈1919-1990〉

石垣りん 表札など 1968.12/25 思潮社

 筑摩書房の編集者だった吉岡実は、同時に装幀も手掛けていた。(編集者が装幀も行うのは当時ふつうのことだったらしい。)のみならずそのその装幀は出版界の範とされていたという。他社の本まで任されるのは信頼されるだけの評価が定まっていたからだろう。やはり筑摩の編集者だった栃折久美子は、次のようにしたためている。“私は吉岡さんの仕事を見ることから、装幀者としての道を歩きはじめた。筑摩書房の社員であった時代に約二百点の仕事をしたが、吉岡さんに見てもらわなかった本、意見をきかなかった本は数えるほどしかない。誰よりも吉岡さんにほめられると安心したし、吉岡さんの目という関門を通らないと、どうにも落ちつきが悪かった。(「製本工房から」)”

 

 吉岡実は4冊のみの石垣りんの詩集のそのうちの3冊を手掛けている。

 石垣は次のようにしるしている。“造本に際して吉岡実さんが「いい着物をきせましょう」と言って下さいましたが、暮らしの上で、身を包むことはしても飾ることとぼしかった歳月を、思わず振り返りました。(詩集「やさしい言葉」)”  

吉岡実 サフラン摘み 1976.9/30 青土社

 装幀者は明記されていないが、小林一郎編の「吉岡実書誌」は吉岡の装幀と断じている。挿画は片山健。カヴァー折り返しに著者蔵との記載がある。見返しも片山健の鉛筆画。

土方巽 美貌の青空 1987.1/21 筑摩書房

 手に取るとずんとした持ち重りがする。やはり筑摩書房で装幀に携わっていた中島かほるは、“「本ってものは重くなくちゃ」って、吉岡さん、よくおっしゃってました。だいたい書籍の束見本が出来上がると、まず重さを手で量るんですよ。「この重みがいい」って(笑)” と語っている(「ユリイカ'03年9月号」)。吉岡の土方への敬愛の気持ちが十二分に込められた装幀。

吉岡実 土方巽頌 1987.9/30 筑摩書房

 表紙と見返しに使われた紙に独特の手触り感があって、これも土方巽の印象にさりげなく寄り添うものか。(見返しは「美貌の青空」の表紙と同じ用紙である。ただし「美貌の青空」表紙にはPP加工(マット)が施されている。)表紙・内扉の写真のオブジェは中西夏之。

 

村上芳正〈1922-  〉 

ジャン・ジュネ全集(第1巻 葬儀/泥棒日記) 1967.5/20 新潮社

 いかにも村上芳正ならではの装幀。新潮文庫版のカヴァーも村上が描いていた。様々な新訳が出て、新潮文庫版はあまり見られなくなっているが、やはり一番しっくりくる装幀は村上のものだろう。

ジョルジュ・バタイユ著作集(眼球譚他) 1971.4/30 二見書房

 ジュネ全集と同工異曲だが、バタイユの意匠はこれしかないと思わせる装幀。

三島由紀夫 豊饒の海・四部作 1969~ 新潮社

 4冊を通しての素晴らしいコーディネート。同一デザインの函に各冊趣を変えたカヴァーを配しながら、それぞれがまったく違和感なく調和している。(カヴァーは「奔馬」が神風連加屋霽堅の書、「天人五衰」は‘三島瑶子’との表記がある。) 本体表紙は色違いの繻子の布貼り。これも作品内容にそぐわしく美しい。一目で村上芳正と分かる独特のイラストを封印してのこの装幀は見事だ。(三島瑶子は三島夫人。日本画家杉山寧の娘。)

 

栃折久美子〈1928-2021〉

吉田健一 書架記 1973.8/30 中央公論社

 装幀者が用紙・組版にまで目配りすることがかなった本といえるだろう。背と角に柔らかな革(山羊革?)を貼った丸背コーネル装。机に置けば本はしなやかに開く。

 (だが手を掛けた宿命として当然に価格は割高になる。例えば次の「百首通見」は同じ73年発行の函入り上製本で800円。対してこの本は2200円である。)

安東次男 百首通見-小倉百人一首全評釈 1973.6/30 集英社

石川淳 狂風記〈特装版〉 1980.12/10 集英社

 帙入り・総革装・天金、吟味のうえ選ばれた用紙に美しい組版。外函縦320×横248㎜の重厚な造本。栃折は限定本について“そのほとんどが大量生産の本とほぼ同じやり方で製本されていて、ただ材料が高価なものに変わっただけとしか見えない”と疑問を呈し、“限定本をつくる人はプロでなければいけないと思います。”と語っている(「製本工房から」)。これぞ限定本だ。

石川淳 六道遊行 1983.4/10 集英社

函、見返しのマーブル模様は栃折自身の手描き染めによるものだろう。

石川淳 蛇の歌 1988.4/30 集英社

 必要にして十分条件を満たす堅実な装幀。あざといケレン味など微塵もない。

 だが、この頃を境に栃折の一般書の装幀は見られなくなる。“現在、栃折は装丁の第一線から退いてしまっている。オフセット印刷への移行にともない、かつての活版印刷がもっていた陰影が本文組から失われてしまったからだ。消耗品としてのノッペリとした「ねぼけた文字面」に堕した現状では、いまや命をすり減らすほどの意欲を見出すことができないからという。残念なことではあるが、潔癖なまでの身の処し方というべきだろう。(臼田捷治「装幀時代」1999)”

 

粟津潔 1929-2009

大江健三郎 万延元年のフットボール 1967.9/12 講談社

 不穏な情念を醸し出す粟津潔のアート。ストーリーにそのまま寄り添うものでもないが、その微妙なズレが却ってイメージを膨らませる。今見ても斬新な装幀。

スーザン・ソンタグ 反解釈 1971.6/20 竹内書店

 これが粟津潔の装幀だと分かったときはちょっとびっくりした。さすがに手堅くまとめているが、粟津カラーを前面に出していたら、ソンタグという透徹した知性にはいささかそぐわないものになっただろう。編集者が粟津になにを求めたのか、推測しがたい。

 

田中一光 1930-2002

シュルレアリスムと画家叢書 骰子の7の目 1974 河出書房新社

 原書版とどれだけの違いがあるのかは不明だが、モダンでシンプルなデザインを手掛けた田中一光らしい明晰な装幀といえそうだ。

細江英公 鎌鼬(普及版) 2009.11/1 青幻舎

 すこんと抜けた青空のような青を基調とした装幀。土方巽の土着的な情念とは一線を画するようにも思えるが、これはこれでまた違った角度で細江=土方の世界を提示する。

 (1969年に上梓された原本の普及版。原本も装幀した田中が表紙のデザインを残して亡くなってしまったため、ここでは表紙のみは英語版と同じくベネディクト・ライヒェンバッハが担当したとのこと。)

 

杉浦康平 1932-

埴谷雄高 闇の中の黒い馬 1970.6/20 河出書房新社

 縦265×横178㎜。重量感のある実に堅牢な本だ。50年を経てもまったくびくともしない。駒井哲郎の挿画の素晴らしさも、この大きさでなければ十二分には表せないに違いない。

稲垣足穂 人間人形時代 1975.1/1 工作舎 〈+中垣信夫・海保透〉

 工作舎の松岡正剛と杉浦とで構成編集。工作舎は“本は暗いおもちゃである”という稲垣足穂の言葉をコンセプトとしているとか。いかにも工作舎らしい本だ。何のためにど真ん中に穴があいているのか、本文に辿りつくまでに何ページを要するのか、まあ、それを面白がるよりほかはない。なんと、この本は現在も新刊本が流通しているらしい。

平岡正明 山口百恵は菩薩である 1979.10/10 講談社 〈+鈴木一誌

 '79年は百恵引退の前年。著者と装幀者との共同作業(共犯関係?)でなければとてもできない造り。

 (共同装幀者の鈴木一誌は当時杉浦康平事務所に所属していたが後に独立。現在も時折この頃を髣髴とさせる流儀を見せる。-後載)

M.G.ルイス マンク 1976.3/25-4/15 国書刊行会 〈+鈴木一誌〉

 1775年生まれの英国人M.G.ルイスが19歳で著したゴシックロマン。その雰囲気にぴったりだ。

江原恵 生活のなかの料理学 1982.2/20 百人社 〈+谷村彰彦〉

 もしやと思って確かめたら、やはりこの装幀は杉浦康平。ゴシックロマンと料理本が同じ地平に。

 

加納光於 1933-

澁澤龍彦 神聖受胎(新装版) 1970.2/28 現代思潮社

 原本の初版発行はサド裁判真っただ中の1962年3月30日。函のない並製本(ソフトカバー)で、カヴァーはこの新装版の函の図柄と同一だったようだ。新装版の前年には最高裁判決も出て、澁澤の評価の高まりに合わせて、より立派に装われた新装版が改めて世に問われる運びとなったものか。(この年「澁澤龍彦集成」7巻も桃源社から出版されている。)

吉増剛造 わが悪魔祓い 1974.7/25 青土社

 折り込み蓋付きの函入り。縦320×横210㎜の詩集としては異例の大さだ。表紙には空押しが(表1は吉増自身の筆跡を型取ったと思われる“わが悪魔祓い 吉増剛造”の文字)。詩に寄り添うというより、詩と拮抗するかのような装幀。吉増剛造でなければ、この加納光於の装幀に喰われてしまったことだろう。加納は次のように語っているという。“言葉の人が一冊の本を出すのは、当然、せいいっぱいやった現在としての仕事であるはずですから、同時的に自分がその装幀の場に立てるかということになると、単に添うという形ではできなくて、ある意味では攻撃的な感じに見られる場合もあったかと思います。もしかしたら著作の何かを突き崩す結果になるかもしれないと思いますが……。でも、自分に望まれていることは、〈お包み衣裳〉としての装幀ではない、望まれているのはそういうことじゃないんじやないかというのがぼくの中にあって……(臼田捷治「装幀時代」より孫引;原典は馬場駿吉「加納光於とともに」)”

吉増剛造 朝の手紙 1974.12/10 小沢書店

 “エッセイ、評論というより、インクのとび散った手紙”とあとがきに記される吉増剛造の散文集。加納の装幀も、「わが悪魔祓い」と同年ながら詩集とはまた違った雰囲気を醸し出している。

小川国夫 血と幻 1979.10/30 小沢書店

 加納のメタルプリント作品9葉が別丁で本文中に貼り込まれている。実にしっかりした製本で、且つなんのストレスもなくしなやかにページが開く(これは加納の手柄ではないかもしれないが)。糸綴じ上製本の手本のような美しい本だ。

ジュール・ミシュレ 博物誌 鳥 1980.7/15 思潮社

 18世紀生まれの歴史家ミシュレが著したこの詩的博物誌の装幀者として、加納光於を採用した編集者のセンスをまず称えねばならない。

 

宇野亞喜良 1934-

栗田勇 愛奴 1967.9/27 三一書房

 宇野亞喜良ワールド満載。それにしても煽情的なこの帯の惹句。これを本屋のレジに持っていくのはちょっと勇気がいるな。

飯島匡・福士勝成(監修) 原色刺青大艦 1973.2/5 芳賀書店 〈+浅井努〉

 縦315×横225㎜。‘大艦’の名にふさわしい本。これが宇野亞喜良の装幀と知ったときはいささか意表を突かれたけれど、なるほど得心できる気もする。(共同装幀者の浅井努がどのような人なのか、どんな役割を果たしたのかは不明。)

穂村弘・宇野亞喜良 X字架 2014.10/20 芸術新聞社  〈+福田真一

 52歳穂村と80歳宇野。意外な、でもエスプリの効いた、思わずニヤリとしてしまうような楽しい化学反応。

 

和田誠 1936-2019

和田誠 お楽しみはこれからだ ①1975.11/30 ②1976.4/5 文藝春秋

“愛想がなくてどこまでもつか”自著で試してみた、という装幀。カヴァーは2色、帯は省略(帯のように見えるのはカヴァーに直接印刷されたもの。本文からの抜粋のように思えるが、イラストも文章も本体にはないプラスアルファ)、“手間も印刷代もかか”る化粧扉(別丁貼込みになる)もやめて本文用紙と同じにした。映画そのものより映画の本1冊のほうが高いのは“どうも気持が悪い”ので当時のロードショウ1000円より安い980円にしてもらったそうである(和田「装丁物語」)。だが、今年('22年)になって函入りの愛蔵版が約3千円で復刊された。はたして和田の遺志にかなうものか。

 栃折久美子は“大量生産の文庫や軽装本に、「美しい本」と言えるものがないわけではない。”と、和田のこの本を挙げ“いつ見ても手に取っても本当に良い感じの本だ。”と称賛している(「装丁ノート」)。実際、見た目だけでなく、開きもよく実に読みやすい。

ジョン・アーヴィング 熊を放つ 1986.5/23 中央公論社

 これは和田誠お手の物の仕事。

丸谷才一 新々百人一首 1999.6/30 新潮社

 蘊蓄を傾けながらも鷹揚な丸谷に絶妙にマッチする。和田誠のセンスが全開。

和田誠・村上春樹 ポートレイト・イン・ジャズ 1997.12/20 新潮社

 これも相性のいい二人ならではの絶好のコラボ。村上のテキストに和田が絵を付けたのではなく、和田が描いた油彩画を見て村上が文章を書いたのだそうだ。ジャズ愛に溢れた本。

村上春樹 アフターダーク 2004.9/7 講談社

 和田誠にはめずらしい雰囲気の装幀だ。もちろん内容を十分に咀嚼したうえでの仕事。写真は稲越功一とクレジットされている。

 ところで、和田が装幀した本には基本的にバーコードがついてない。バーコード導入の際に和田は強く反発し、せめて剥せるシールを貼るか帯に刷るなどの妥協策でもないかぎり、“本当にイヤなので”オーダーを引き受けないことにしたそうである。(そのために装丁の仕事は一時は2割あるかないかに激減したという。)(「装丁物語」)この本はその妥協案が採られて、帯に印刷されている。

 さて、バーコードはイヤだ、という和田誠の気概は、版を重ねても引き継がれていくのだろうか。

 

司修 1936-

エロ事師たち 1968.4/20 講談社

 初発の出版は1966年。司修が装幀したのは、この'68年版から。直木賞受賞を期に、よりインパクトのある装幀にしたのだろうか。

森敦 月山 1974.3/10 河出書房新社

 “装幀は、何も語らず、物語のいっさいを伏せて、知らん顔して、しかし深く入り込むほうがいいし、「月山はこの眺めからまたの名を臥牛山と呼」ぶ姿を、実際の月山の写真やスケッチではなく、牛の背であらわせたら最高だ、と思った。(司修「本の魔法」)”  ふと思い付いた画は作者不詳の日本の墨絵。しかし“何もしないで仕事になってしまう、という思いを消せないので”別案を用意したものの、編集者に難色を示されて結局この画に落ち着いたという。“「オビで牛の下半身を隠すと、臥牛山になるんだ」といった。ぼくはほとんどやけのやんぱちでそういったのだと思う。”  タイトルの「月山」の字は空海にしてもらえばという作者の意向で「灌頂記」から一字ずつ拾われた。

大江健三郎 同時代ゲーム 1979.11/25 新潮社

 函はフォーマットが決まっており色指定くらいしか工夫の余地はなかったはず。その分、カヴァーに力が込められているようだ。

大江健三郎 新しい人よ眼ざめよ 1983.6/13 講談社

 カヴァー画はウィリアム・ブレイク。見返しは武満徹の「雨の樹」の楽譜原稿。表紙に押されている楽譜(「6月の男」)の出典は特に表示されていない。見返し裏に司修の木口木版画「足の裏と大きな涙」。

大江健三郎 M/Tと森のフシギの物語 1986.10/17 岩波書店

 作品内容に触発されてイメージを膨らませた画がふんだんに挿入され、本文の下地にまでイラストが入っている。装幀家にとっても刺激のある楽しい仕事だったに違いない。表紙は大江の息子 大江光作曲の「森のバラード変イ長調」オリジナル楽譜。

村上春樹 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 1985.6/15 新潮社

 新潮社の‘純文学書下ろし特別作品’シリーズの函が、従来のフォーマットにとらわれなくなったのは司修のこの装幀あたりからではないだろうか。見返し裏には、この作品のうちのハードボイルド・ワンダーランドのストーリーが展開される地図が描かれている。この図柄は函のベースとしても使われている。

笙野頼子 三百回忌 1994.5/25 新潮社

 表紙・扉・目次の挿画は「光琳百図」より、とのクレジットがある。笙野頼子の世界との距離の取り方にやや戸惑った感がないでもない。

 

横尾忠則 1936-

唐十郎 ジョン・シルバー 1969.2/1 天声出版

 ’66年の唐十郎の状況劇場公演「腰巻お仙」のために描いたポスターが「World & Image」で60年代を代表する作品に選出されたことが横尾忠則が一躍時代の寵児となったきっかけだった。まさにこの頃の勢いを、ここにまざまざと見ることができる。

柴田錬三郎+横尾忠則 絵草子 うろつき夜太 1975.5/20 集英社

柴田錬三郎 うろつき夜太 1974.6/10 集英社

四谷シモン 機械仕掛の神 1978.10/30 イザラ書房

筒井康隆 宇宙衛星博覧会 1979.10/15 新潮社

村上龍 フィジーの小人 1993.3/25 角川書店

瀬戸内寂聴 奇縁まんだら 2008.4/15 日本経済新聞出版社

穂村弘 蚊がいる 2013.9/13 KADOKAWA