〈わたし〉のいない〈わたしたち〉の物語 ― 松浦理英子「最愛の子ども」

 

 〈ファミリー〉と命名される疑似家族の3人を巡って、玉藻学園二(~三)年四組の同級の女子高校生たちが紡ぎだす物語。

 

 だが、この物語はただ芸もなくありのままの3人を観察・記述するものではない。
 それどころか、描写にあたって『これは虚実まじえた想像上の場面である』とか、『その胸中をわたしたちはこれまでの想像を踏まえて新たに創作する』とか、『日夏は何を考えているか。次はそれを捏造する』などと、悪びれもせず表明される。
 いかにも作り物めくのは、もとより作者の意図するところで、ご丁寧にも第一章でこの物語の主な登場人物の「配役表」が示される。いわく、『舞原日夏 パパ/今里真汐 ママ/薬井空穂 王子様』。そして11人の少女たちには銘々『目撃者』の役割が配される。あたかも現実が、演じられる劇にすり替えられるような様相を帯びてくる。

 

 物語は、「わたしたち」の語りによって進められる。だが、読者はほどなく奇妙な事実に気付く。
 「わたしたち」と語りながら、そこには「わたし」に該当する人物が存在しないのだ。
 先に書き出された11人は、『木村美織 目撃者 官能系情報コレクター/… 穂刈希和子 目撃者 思いを捧げるもの/…』というように明示されるが、だれも「わたし」ではない。個々の少女はいずれも3人称で語られる。
 すなわち、この物語は11人の少女たちの集合的な妄想の産物なのだ。
 
 それは同時にこの物語が、「わたしたち」の解体にともなって終熄する運命にあることを意味している。
 つまり卒業して「わたしたち」が散り散りになれば、もう物語る主体自体が存在しない。〈ファミリー〉も失われるだろう。(この物語が醸し出すはかなさ・切なさはそこに由来している。)
 そして、そのことを「わたしたち」ははっきりと自覚している。『わたしたちはわたしたちで現実における〈わたしたちのファミリー〉の離散を覚悟し、紡いできた物語を締めくくる心の準備を進めていた。…(中略)…結末は苦みのまさったものになりそうだけれど、わたしたちがわたしたちのために語って来た物語なのだから、必ずそこにわたしたちにとって喜ばしい甘みが見出されるだろう、という期待は揺らぐことなくあった。』

 

 卒業後の語り。『わたしたちは〈わたしたちのファミリー〉とともにあったこの物語を締めくくるにあたって、今一度真汐の視点を借りることにする。』
 だが、すでに「わたしたち」はほとんど消滅しているではないか。妄想の魔力はほとんど失効しているのではないか。図書館で逢った恵文、美織、花奈子、郁子は『そろってとろんとした目つきで館内をさまよっていた。』のだ。

 

 ここからの真汐の語りは、「わたしたち」の妄想のフィルターがかかったそれまでの語りとは明らかに異なっているように思えてならない。「わたしたち」がつくりだしていた繭は破れ、真汐の生身の肉声が晒されるのだ。
 少女たちの紡ぎだした世界からはぐれて、ひとり世間と向き合って生きていかなければならない。その不安。日夏や空穂への思い、切なさ。
 物語の最後に真汐の心に浮ぶ「わたしたち」は、あの「わたしたち」ではない。真汐自身の「わたしたち」だ。

 

 現実をすり替える物語の騙りの妙はさておき、主眼はさらに別にある。
 この小説に登場する何人かの大人は肯定的に描かれる。(英語教師の唐津緑郎は文化祭のコーラスに迎え入れられるし、美織の両親は窮地の日夏に救いの手を差し伸べる。)だが、空想の世界に遊ぶ少女たちの大人社会や現実との和解、少女たちの成長譚、といった安易と縁はなかろう。
 あっさりと霧散してしまった〈ファミリー〉、あまりにもはかなかった「わたしたち」の物語。少女たちは否応なく世界に放り出される。わたし・たちはどのように現実と折り合っていけばいいのだろう。その切なさとどう向き合って生きていけばいいのだろう。
 その切実さに寄り添うことが、作者のこの作品に込めた思いだったはずだ。

 

 そこでふと思い出すのは松浦理英子が1996年から「月刊カドカワ」に連載し、98年に上梓された「おぼれる人生相談」だ。

 狷介孤高ともいえるようなイメージの松浦が人生相談を引き受けたこと自体が不思議に思えるが、さらに意外だったのは、本人が後書きに書いたように『「あたりまえの回答よりも、深沢七郎式に無茶苦茶にやれば」という思いが当然のように頭をよぎりはしたのだけれども』『「まっとう過ぎて退屈」と言われようとも正攻法で行くことにした』ことである。

 ここでの松浦は表紙絵の聖母のようにひたすら慈愛に満ちて、どんな幼い素朴な悩みにも斜に構えることなく真摯に回答する。その口調は、一例を挙げれば『「自分のせいで友達がわるく思われるのは、この上なくイヤ」というTさんは、本当に思い遣りのあるいい人ですね。どうか、現在の心の優しさを失わないまま、自尊心も育て、大きく成長していってください。』といった調子だ。(回答した相談者の3分の1から礼状が来たという。)

 

 あるいは作家としての取材、という意図もあったのかもしれない。だが、そればかりではあるまい。松浦理英子は、愚直なまでに他者と向き合おうとする人なのだ。その妥協のなさが、彼女を一見、狷介な異端者に見せる。そして、そのような切ないまでのひたむきさ(例えば「犬身」におけるフサの梓に対する思いのような)が、反転して剃刀の刃のように自分自身を傷つけずにはおかなかったさまは、初期の「セバスチャン」や「ナチュラル・ウーマン」に容赦なく晒しだされていた。 

 

 また、あるいは「親指Pの修業時代」。

 ある日、右足の親指が突然ペニスになってしまった女性が、同じく性的な特異体質の者たちの見せ物的なショーに参加する、という破天荒な奇譚。設定だけを見るなら突拍子もないが、小説の主眼は、奇想天外なストーリー展開ではなく、一見異様に見える者たちの間の精神的な(そして肉体的な)交渉の機微だろう。異形の姿に捉われずに読めば、そのありようは極めてまともで‘ 普通’に思える。読後感はむしろほのぼのと明るい。松浦理英子はここであらゆる偏見・先入観を軽々と越境し、異端とされる者たちの側に寄り添おうとしているかのようではないか。

 「文學界」18年6月号の津村記久子との対談で、松浦は「最愛の子ども」について次のように語っている。

『(読者を)疎外しないこと、甘い憧れの世界であらしめること、両者の塩梅には神経を使いました。』
『どの部分でもいいから、今まさに自分を抑えつけてくるものに抵抗している若い読者と触れ合える部分があるとしたら、読まれてほしいと思いました。』

 

 松浦理英子には珍しく、といっていいかと思うが、この作品がかなり明確に、彼女が想定する読者に向けたメッセージを伝えようという意志をもって書かれたということが分る。これまでの作品が、結果的にそのような読まれ方がされたとしても、その意志が浮き彫りになってくることはなかったように思う。

 

 また、とりわけ印象に残ったのは、自らの子どもの頃の記憶を踏まえた次の発言だ。
 『そのときの苦しさが、真汐の苦しさに重なってくる。はみ出した荒ぶる少女の魂を鎮めたいという、鎮魂のモチベーションがあったんです。』

 私自身は、少女であったことも、またどうやら性的マイノリティでもなく、ここまで世間と狎れあって生きのびてきた者だが、この発言には心が波立つのを感じないわけにはいかなかった。もちろん、それは、「最愛の子ども」という作品から強く感得したものに通じている。

 

 

('17.5/20 記) 

 

 

 

 

 ここまで書いて、ふと、こんな考えが浮かび、どうしても脳裏からはなれなくなった。

 ‘ わたしたち ’と語っているのは、真汐なのではないか。

 そう考えると、真汐の孤独はいっそう際立ってくる。

 すなわち、この物語は真汐が自分自身を守るために、同級生たち=‘ わたしたち ’の名を借りて作り上げた(“ 捏造 ”した) 切ない、甘美な繭なのだ。

 

 作者自身がそう考えていたか、いささか心もとない気もする。だが、作者の意図にかかわらず、この小説にはそう読める余地があるのではなかろうか。

 

 松浦理英子はかつてこんなことを書いている。

 

   自分の中のある部分を切り落とすために、十九歳の春「葬儀の日」を書いた。

                          (「葬儀の日」'80 単行本あとがき)

 

 真汐が作者と重なる部分があるのなら、十代の松浦理英子が「葬儀の日」を皮切りに、数少ない、しかし珠玉の物語を紡いでいったことを思えば、この「最愛の子ども」の語り手が実は真汐だという‘妄想’も、あながち的外れではあるまい。

 

 断定しないほうがよいのかもしれない。複数の可能性をふくみながら読むことで、この物語はさらに様々なイメージをふくらませることになるだろう。

 

 

('17.7/24 記)