散 る 桜 - 桜はなぜ‘散る’か

 

 花はいつか咲き終わる。桜も散る。だが、かならずしもすべての花が散るわけではない。むしろ ‘散る’花は少ないのではなかろうか。

 例えば、椿は丸ごとぼとっと‘落ちる’。

赤い椿白い椿と落ちにけり    河東碧梧桐

 牡丹。これは一気にばらばらと‘崩れる’。

火の奥に牡丹崩るるさまを見つ  加藤楸邨

 ‘散る’というよりほかの表現がなじむのは、椿や牡丹に限ったことではない。

 朝顔はしぼむ。菊は枯れる。百合はしおれる、というべきか。‘卯の花腐(くた)し’などという季語もある。

ひと日臥し卯の花腐し美しや   橋本多佳子

 いずれにせよ花のおおくは、桜のように一枚々々の花びらが生気をとどめたまま散るわけではない。散るとしても、朽ちかけたあげくに散るのだ。うつくしいまま終わる花はむしろ少ない。

 

 一斉に咲いて一斉に散る。木としての高さがあって枝がひろがり、花びらも小さく軽いから、吹雪のように舞う。群生していればなお、そのインパクトは他の花の及ぶところではない。梅も散るが時間をかけて少しずつ散るので‘零(こぼ)れる’などともいわれる。

 

 そのため、桜は古来から満開の様子のみならず、その散るさまをも詠われてきた。 だが、そこに映しだされた思いは、現在のJポップにいたるまで、一様ではない。

 こざかしい能書きはさておいて、さしあたっては、‘散る桜’のうたばかりを、ただ集めてみることにする。

 

 

 まず万葉集。このころの花といえば萩と梅だが、限られてはいるが桜も詠まれている。そして‘散る桜’も。

 

桜花咲きかも散ると見るまでに誰かもここに見えて散りゆく

                         柿本人麻呂(歌集)3129(巻12)

龍田山見えつつ越え来し桜花散りか過ぎなむ我が帰るとに

                         大伴家持            4395(巻20)                            

春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも

                         作者不明               3786(巻16) 

桜花時は過ぎねど見る人の恋ふる盛りと今し散るらむ 

                          作者不明               1855(巻10)

足引きの山の際(ま)照らす桜花此の春雨に散りゆかむかも

                          作者不明               1864(巻10)

雉子(きぎし)鳴く高円(たかまど)の辺(へ)に桜花散りて流らふ見る人もがも

                          作者不明               1866(巻10)

阿保山の桜の花は今日もかも散り乱るらむ見る人なしに

                          作者不明              1867(巻10) 

春雨は甚(いた)くな降りそ桜花いまだ見なくに散らまく惜しも

                          作者不明*             1870(巻10)

                        * 新古今にも採られ山部赤人作とされる

 

 ここで謳われるのは桜が散るのを素朴に惜しむ気持ちだ。桜になりかわってその気持ちを代弁するようなうた(1855)も見られるが、桜に自分自身の身の上とか心情を重ね合わせて思いを託すというようなことはない。あくまでも桜は鑑賞の対象なのだ。

 

 

 古今集とその周辺。

 古今集巻一、二は春歌の上下。とりわけ春季後半の春歌下に詠われる桜は、ほとんどといっていいほど ‘散る’桜である。古今集ではまだ‘花’はかならずしも桜とはかぎらないが、‘散る花’= 桜、というイメージはほぼ定着していたようだ。

 まずは、このうた。 

 

今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや

                              在原業平  063(巻1)

 

 前歌の「あだなりと名にこそたてれ桜花年にまれなる人も待ちけり(読人不知)」の返しなので、この花は桜であり、散ることを雪に例えて詠んだものだ。

 業平には次のうたも。

 

桜花ちりかひもくれ老いらくの来むといふなる道まがふがに        349(巻7) 

 

 古今では業平につづいて‘散る桜’が詠われる。

 

散りぬれば恋ふれどしるしなきものを今日こそ桜折らば折りてめ

                              読人不知  064(巻1)

折りとらば惜しげにもあるか桜花いざ宿かりて散るまでは見む

                              読人不知  065(巻1)

桜色の衣に深く染めて着む花の散りなむのちの形見に

                              紀有朋   066(巻1)

我が宿の花見がてらにくる人は散りなむのちぞ恋しかるべき

                              凡河内躬恒 067(巻1)

 

 紀貫之とともに古今集の撰者であり、三十六歌仙のひとりでもある凡河内躬恒には、巻二にも何首かの‘散る桜’がある。

 

雪とのみ降るだにあるを桜花いかに散れとか風の吹くらむ          086(巻2)

 

しるしなき音をも鳴くかなうぐひすの今年のみ散る花ならなくに       110(巻2)

 

とどむべきものとはなしにはかなくも散る花ごとにたぐふ心か        132(巻2)

 

 また古今以降にも。

 

咲かざらむものとはなしに桜花面影のみにまだき見ゆらん        拾遺集1036

 

いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ       新古今106

 

なくとても花やはとまるはかなくも暮れゆく春のうぐひすの声       続後撰149

 

おきふして惜しむかひなくうつつにも夢にも花の散る夜なりけり       金葉098

 

桜花ちりぬるときは見もはてでさめぬる夢のここちこそすれ         金葉105

 

 

 次のうたで巻一は締めくくられる。

 

見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむのちぞ咲かまし

                              伊勢    068(巻1) 

 

 巻一の伊勢このうたも‘散る桜’ととってよいだろう。

 

年を経て花の鏡となる水はちりかかるをや曇ると言ふらむ          044(巻1)

 

 三十六歌仙のひとりである伊勢には、古今集にはほかに‘散る桜’のうたは見当たらないが、古今以降につぎのようなうたが採られている。

 

散り散らず聞かまほしきをふる里の花見て帰る人も逢はなむ           拾遺049

 

山桜ちりてみ雪にまがひなばいづれか花と春に問はなむ          新古今107

 

 

 伊勢の子、同じく三十六歌仙の中務のうたもあげておく。

 

咲けば散る咲かねば恋し山桜思ひ絶えせぬ花のうへかな           拾遺037

 

桜花散りかふ空は暮れにけり伏見の里に宿や借らまし

 

 

 巻二には‘散る桜’が切れ目なくつづく。

 

待てと言ふに散らでしとまるものならば何を桜に思ひまさまし

                              読人不知  070(巻2)

残りなく散るぞめでたき桜花ありて世の中はての憂ければ

                              読人不知  071(巻2)

この里に旅寝しぬべし桜花散りのまがひに家路忘れて

                              読人不知  072(巻2)

空蝉の世にも似たるか花桜咲くと見るしまにかつ散りにけり

                              読人不知  073(巻2)

桜花散らば散らなむ散らずとてふるさと人のきても見なくに

                              惟喬親王  074(巻2)

桜散る花のところは春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする

                              承均法師  075(巻2)

花散らす風の宿りは誰か知る我に教へよ行きてうらみむ

                              素性法師  076(巻2)

いざ桜我も散りなむひとさかりありなば人にうきめ見えなむ 

                              承均法師  077(巻2)

 

 ここでエースが登場する。

 

ひと目見し君もやくると桜花今日は待ちみて散らば散らなむ

                             紀貫之     078 (巻2)

 貫之の‘散る桜’。

 

春霞なに隠すらむ桜花散るを間をだにも見るべきものを           079(巻2)

 

桜花とく散りぬとも思ほえず人の心ぞ風も吹きあえぬ            083(巻2)

 

山高み見つつ我が来し桜花風は心にまかすべらなり             087(巻2)

 

梓弓春の山辺を越え来れば道もさりあえず花ぞ散りける           115(巻2)

 

春の野に若菜摘まむと来しものを散りかふ花に道は惑ひぬ          116(巻2)

 

宿りして春の山辺に寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける          117(巻2)

 

桜散る木(こ)の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞ降りける         拾遺064

 

風吹けば方もさだめず散る花をいづかたへゆく春とかは見む         拾遺076

 

花もみな散りぬる宿はゆく春のふる里とこそなりぬべらなれ         拾遺077

 

わが宿のものなりながら桜花散るをばえこそとどめざりけれ        新古今108

 

散る花のもとに来てこそ暮れはつる春の惜しさもまさるべらなれ

 

かつ見つつあかずと思へば桜花散りなむのちぞかねて恋しき

 

桜花かつ散りながら年月はわが身にのみぞ積るべらなる

 

散るがうへに散りも紛ふか桜花かくてぞ去年(こぞ)の春も過ぎにし

 

 次のうたも‘散る桜’のバリエーションとみていいだろう。

 

吹く風と谷の水としなかりせばみ山隠れの花を見ましや           118(巻2)

 

鳴き止むる花しなければうぐひすもはてはものうくなりぬべらなり      128(巻2)

 

 だが、極めつけの一首はこれだ。

 

桜花散りぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける            088(巻2)

 

 風、水、空、波。そのあはいに桜の花びらが舞う。めまいがしそうだ。

 

 

 貫之につづいて、百人一首にも採られて人口に膾炙したうた。

 

久方のひかりのどけき春の日にしづこころなく花のちるらむ

                              紀友則    084(巻2) 

 

 引きも切らず‘散る桜’が詠われる。

 

たれこめて春のゆくへも知らぬまに待ちし桜もうつろひにけり

                              藤原因香   080(巻2) 

枝よりもあだに散りにし花なれば落ちても水の泡とこそなれ

                              菅野高世   081(巻2) 

春風は花のあたりをよぎて吹け心づからやうつろふと見む

                            藤原好風   085(巻2) 

春雨の降るは涙か桜花散るを惜しまぬ人しなければ

                              大伴黒主   088(巻2) 

いつまでか野辺に心のあくがれむ花し散らずは千代もへぬべし

                             素性法師    096(巻2) 

うぐひすの鳴く野辺ごとに来てみればうつろふ花に風ぞ吹きける

                              読人不知   105(巻2) 

吹く風を鳴きてうらみようぐひすは我やは花に手だにふれたる

                              読人不知   106(巻2) 

散る花の泣くにし止まるものならば我うぐひすにおとらましやは

                              春澄洽子   107(巻2) 

花の散ることやわびしき春霞たつたの山のうぐひすの声

                              藤原後蔭   108(巻2) 

木伝(こづた)へばおのが羽かぜに散る花を誰におほせてここら鳴くらむ

                              素性法師   109(巻2) 

駒なめていざ見にゆかむふるさとは雪とのみこそ花は散るらめ

                              読人不知   111(巻2) 

散る花を何かうらみむ世の中に我が身もともにあらむものかは

                              読人不知   112(巻2) 

惜しと思ふ心は糸によられなむ散る花ごとにぬきてとどめむ

                              素性法師   114(巻2) 

花散れる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり

                              清原深養父  129(巻2)

 そしてあまりにも有名なこのうた。

 

花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに

                             小野小町  113(巻2)

 

 

 巻一、二のほかにも。

 

山風に桜吹きまき乱れなむ花のまぎれに立ちとまるべく

                              僧正遍照    394(巻8)

しひて行く人をとどめむ桜花いづれを道と惑ふまで散れ

                               読人不知   403(巻8)

散りぬればのちはあくたになる花を思ひ知らずも惑ふ蝶(てふ)かな

                             僧正遍照   435(巻10)

かぢにあたる浪のしづくを春なればいかが咲き散る花と見ざらむ

                               兼覧王      457(巻10)

我が恋にくらぶの山の桜花間(ま)なく散るとも数はまさらじ

                               坂上是則   590(巻12)

思ふともかれなむ人をいかがせむあかず散りぬる花とこそ見め

                               素性法師    799 (巻15)

 

 

 古今集以降も‘散る桜’はさかんに詠まれる。

 

 千載集に採られた八幡太郎 源義家のうた。

 

吹く風を勿来(なこそ)の関と思へども道も狭(せ)に散る山桜かな       千載103

 

 勅撰集には採られていないが和泉式部にも‘散る桜’のうたが―。

 

おしなべて花はさくらになしはてて散るてふことのなからましかば   

    

 桜といえば西行。 

 

さかぬまの花には雲のまがふとも雲とは花のみえずもあらなん         山家心中集   7

 

あくがるゝ心はさてもやまざくらちりなんのちや身にかへるべき            9

 

風越(かざごし)のみねのつゞきに咲く花はいつのさかりともなくやちるらん              15

 

吉野やまかぜこす岫(くき)にちるはなは人のをるさへをしまれぬかな                       16

 

ちりそむるはなのはつ雪ふりぬればふみわけまうき志賀のやまみち                          17

 

春かぜのはなのふゞきにうづもれてゆきもやられぬ志賀のやまごえ                          18

 

吉野やま谷にたなびく白雲はみねのさくらのちるにやあるらん                                19

 

たちまがふみねの雲をばはらふともはなをちらさぬあらしなりせば                          20

 

木のもとにたびねをすれば吉野やまはなのふすまをきする春かぜ                             21

 

峰にちるはなは谷なる木にぞさくいたくいとはじ春のやまかぜ                                22

 

あだにちる木ずゑのはなをながむれば庭にはきえぬ雪ぞつもれる                             23

 

風あらみこずゑの花のながれきて庭になみたつ白河のさと                                      24

 

春ふかみ枝にもゆるがでちるはなは風のとがにはあらぬなるべし                             25

 

風にちるはなのゆくゑはしらねどもをしむ心は身にとまりけり                            26

 

ちるはなををしむ心やとゞまりてまたこむ春のたねになるべき                                27

 

惜しまれぬ身だにも世にはある物をあなあやなくのはなのこゝろや                          28

 

うき世にはとゞめをかじとはるかぜのちらすは花ををしむなりけり                          29

 

もろともにわれをも具してちりね花うき世をいとふこゝろある身ぞ                          30

 

思へたゞはなのちりなんこのもとをなにを蔭にて我身すぐさん                                31

 

ながむとて花にもいたく馴れぬればちる別れこそかなしかりけれ                       32

                                 新古今126(巻2)

花もちり人もみやこへかへりなば山さびしくやならむとすらむ                                33

 

吉野やまやがて出でじと思ふ身をはなちりなばとひとやまつらん                     112

   新古今1617(巻17)

わきて見ん老(をい)木は花もあはれなりいまいくたびか春にあふべき                     186

 

散るを見でかへる心やさくらばな昔にかはるこゝろなるらん                                 187

 

吉野山花の散りしに木のもとにとどめし心は我を待つらむ

 

木のもとの花に今宵は埋もれてあかぬ梢を思ひあかさむ

 

春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり

 

青葉さへみれば心のとまるかな散りにし花の名残と思へば

 

 

 

 千載の撰者、藤原俊成のこのうた。

 

またや見む交野(かたの)の御野(みの)の桜狩り花の雪ちる春の曙   新古今114(巻2)

 

 

 寂蓮。

 

散りにけりあはれうらみの誰なれば花のあととふ春の山風      新古今155(巻2)

 

 

 「沖の石の讃岐」こと二条院讃岐。

 

山たかみ嶺の嵐に散る花の月にあまぎる明け方のそら        新古今133(巻2)

 

 新古今の世代の歌人たち。

 

 勅命を下した後鳥羽院。王者のうた。

 

み吉野の高嶺のさくら散りにけり嵐もしろき春の明けぼの          133(巻2)

 

けふだにも庭を盛りとうつる花消えずはありとも雪かとも見よ        135

 

治めけんふるきにかへる風ならば花散るとても厭はざらまし

 

風は吹くとしづかに匂へ乙女子が袖ふる山に花の散る頃

 

散る花に瀬ゝ(せぜ)の岩間やせかるらん桜に出づる春の山川

 

墨染の袖もあやなくにほふかな花吹き乱る春の夕風

 

 

 式子内親王。比類なく 繊細でしなやかな韻律。

 

花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる         149(巻2)*

 

八重にほふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきにとふ人もがな          137(巻2)

 

花ならでまたなぐさむる方もがなつれなく散るをつれなくぞ見む         玉葉239

 

夢のうちもうつろふ花に風吹きてしづ心なき春のうたた寝         続古今147

 

          * 新古今では「花は散り」だが、家集では「花は散りて」となっている。 

 

 夭逝の才媛、宮内卿17歳の詠。

 

花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟のあと見ゆるまで         128(巻2)

 

逢坂やこずゑの花を吹くからに嵐ぞかすむ関の杉むら            129(巻2)

 

 湖面いっぱいに散った桜、そこに残される舟の航跡。嵐そのものをかすませるほどの桜の花びら。後鳥羽院を驚嘆させた才気あふれる独創。

 

 

 超絶技巧、俊成卿女。

 

恨みずやうき世を花のいとひつつ誘ふ風あらばと思ひけるをば        140(巻2)

 

にほのうみ春はかすみの志賀の波花に吹きなす比良の山風

 

月影もうつろふ花にかはる色の夕べを春もみよしのの山           

 

 

 ‘散る桜’というよりは、もはや幻想の桜。新古今のなかでも屈指の名歌。藤原家隆。

 

桜花夢かうつつか白雲のたえてつれなき嶺の春風              139(巻2)

 

 

 定家と並ぶ立役者、九条良経。天才の切れ味。(5首目以降は22歳(花月百首)の詠。)

 

よしの山花のふるさと跡たえてむなしき枝に春風ぞ吹く           147(巻2)

 

初瀬山うつろふ花に春暮れてまがひし雲ぞ嶺にのこれる           157

 

桜さく比良の山風ふくままに花になりゆく志賀のうら浪           千載

 

雲のなみけむりのなみや散る花のかすみにしづむ鳰(にほ)のみづうみ

 

ちる花をけふのまとゐの光にて浪間にめぐる春のさかづき

 

さらにまた麓の浪もかをるなり花の香おろす志賀の山風

 

ちる花も世をうきくもとなりにけりむなしき空をうつす池水

 

明け方の深山のはるの風さびて心くだけと散るさくらかな

 

なほ散らじ深山がくれの遅桜またあくがれむ春の暮方

 

 

 前衛にして真打ち、俗物にして奇才、定家。だが、“狂言綺語”とか“達磨うた” とも評されただけあって、‘散る桜’もなかなか一筋縄には詠まない。新古今に撰ばれた46首のなかにも‘散る桜’ のうたは含まれていない。なにしろ“花ももみぢもなかりけり”と詠んだ人なのだ。

 

梢よりほかなる花のおもかげにありしつらさのわたる風かな       花月百首(29)

 

  満開の桜を詠むときでさえ、

 

さくら花ちらぬ梢に風ふれててる日もかをる志賀のやまごえ        花月百首(29)

 

 安直に陳腐な‘散る桜’を詠んでは沽券にかかわるとでもいわんばかりではないか。この建久元年秋、定家29歳の「花月百首」での花五十首でも、上記2首を合わせて‘散る桜’は、8首をみるのみである。

 

吉野山かすみ吹きこす谷風にちらぬさくらのいろさそふらむ

 

散りまがふ木のもとながらまどろめば桜にむすぶ春の夜の夢

 

なにとなくうらみなれたる夕べかなやよひの空の花のちる頃

 

暮れぬとも花ちる峯の春のそらなほ宿からむひとよばかりも

 

山桜まてともいはじ散りぬとておもひますべき花しなければ

 

散りぬとてなどて桜を恨みけむちらずばみましけふの庭かな  

 

 以下、年代順に‘散る桜’をピックアップする。(()内は定家の当時の年齢)

 

風ならで心とを散れさくら花うきふしにだにおもひおくべく        初学百首(20)

 

春の野にはなるゝ駒はゆきとのみちりかふ花に人やまどへる

 

みなかみに花やちるらむよしの山にほひをそふるたきのしら糸

 

おしなべて峯のさくらや散りぬらむ白妙になるよもの山かぜ

 

嵐やはさくよりちらす桜ばな過ぐるつらさは日かずなりけり       二見浦百首(25)

 

をしまじよ桜ばかりの花もなし散るべきための色にもあるらむ

 

石ばしる滝こそけふも厭はるれ散りてもしばし花は見ましを

 

何処にて風をも世をも恨みましよしのゝおくも花は散りけり

 

花の散るゆくへをだにも隔てつゝかすみの外にすぐる春かな

 

雪と散るひらの高嶺のさくらばななほふき返せ志賀の浦かぜ     皇后宮太輔百首(26)

 

いかにしてしづ心なくちる花ののどけき春の色と見ゆらむ

 

九重の雲のうへとはさくら花ちりしく春の名にこそありけれ

 

こひわびぬ花ちる峯に宿からむかさねし袖やさてもまがふと

 

散る花を三世の仏にいのりてもかぎる日数のとまらましかば        閑居百首(26)

 

けふこずば庭にや春の残らましこずゑうつろふ花のしたかぜ        早卒百首(28)

 

散る花にみぎわの外のかげそひて春しも月はひろさはの池       韻歌百廿八首(35)

 

さくら花ちりしく春の時しもあれかへす山田を恨みてぞ行く       院初度百首(39)

 

さくら色の庭のはる風あともなしとはゞぞ人の雪とだに見む       院再度百首(40)

 

春やいかに月もありあけにかすみつゝ梢の花はにはの白雪         院五十首(40)

 

さゞなみや桜吹きかへす浦風をつりするあまの袖かとぞ見る      院句題五十首(40)

 

跡もなき山路の桜ふりはへて問はれぬしるきたにのしばはし

 

木のもとに待ちし桜を惜しむまでおもへばとほきふるさとの空

 

春の色ときえずば今朝も見るばかりすこし梢にはなの残りて

 

いかにせむ春もいくかの桜花かたもさだめぬかぜのにほひを

 

消えずともあすは雪とや桜花くれゆく空をいかゞとゞめむ       内大臣家百首(54)

 

散る花のつれなく見えし名残とて暮るゝも惜しくかすむ山陰        應制百首(55)

 

桜花たが世のわか木ふりはてゝすまの関屋のあとうづむらむ     仁和寺宮五十首(58)

 

跡絶えてとはれぬ庭の苔の色もわするばかりに花ぞ散りしく

 

散りもせじころもにすれるさゝ竹の大宮人のかざすさくらは   女御入内御屏風和歌(68)

 

散る花のくものはやしもあれはてゝ今はいくかの春も残らじ      左大臣家百首(71)

 

みよし野は春のにほひにうづもれて霞のひまも花ぞふりしく        拾遺愚草下

 

庭もせにうつろふころの桜花あしたわびしきかずまさりつつ

 

散る花は雪とのみこそふるさとを心のまゝにかぜぞふきしく

 

わが来つる跡だに見えず桜花ちりのまがひのはるのやまかぜ

 

ふきまよふ桜色こき春かぜに野なる草木のわかれやはする

 

月くさの色ならなくにうつしうゑてあだにうつろふ花さくらかな

 

わが身世にふるともなしのながめして幾春かぜに花の散るらん

 

山桜花のせきもる逢坂は行くも帰るもわかれかねつつ

 

花散りてのちさへものを思ふかな今いく日かは春の曙          拾遺愚草員外

 

桜花こころに散らぬ色ながらいくたび春をうらみ来ぬらん

 

散りまがふ花に山路はうづもれぬたれかき分けてけさをとふらん

 

色に散る花にうらみをつくさせてつれなくよそにすぎぬ弥生は

 

思ふどちむれ来し春もむかしにて旅寝の山に花や散るらん

 

惜しむらむ訪はれし花も散りはてゝ春はいくかの嶺のかすみぞ

 

里あれぬ庭の桜もふりはてゝたそがれどきをとふ人もなし

 

 

 その他の新古今の‘散る桜’。

 

散り散らずおぼつかなきは春霞たなびく山の桜なりけり

                             祝部成中  115(巻2)

山里の春の夕暮きてみれば入相の鐘に花ぞ散りける

                             能因法師      116

桜散る春の山べはうかりけり世をのがれにと来しかひもなく

                             恵慶法師  117

山桜花の下風吹きにけり木のもとごとの雪のむら消え

                             康資王母  118

春雨のそぼふる空のをやみせず落つるなみだに花ぞ散りける

                             源重之   119

鴈がねのかへる羽風やさそふらん過ぎゆく嶺の花も残らぬ

                             源重之   120

時しもあれたのむの鴈のわかれさへ花散るころのみ吉野の里

                             源具親   121

山深み杉のむらだち見えぬまでをのへの風に花の散るかな

                             源経信   122

木の下の苔のみどりも見えぬまで八重散りしける山桜かな

                             源師頼   123

ふもとまでをのへの桜散りこずばたなびく雲と見てやすぎまし

                             藤原顕輔  124

花散ればとふ人まれになりはてて厭ひし風の音のみぞする

                             藤原範兼  125

山里の庭よりほかの道もがな花散りぬやと人もこそとへ                         

                              越前   127

山高み岩ねの桜散るときは天の羽衣なづるとぞ見る

                             崇徳院   131

散りまがふ花のよそめは吉野山嵐にさわぐ嶺の白雪

                             藤原頼輔  132

つらきかなうつろふまでに八重桜とへともいはですぐるこころは

                             惟明親王  138

はかなさをほかにもいはじ桜花咲きては散りぬあはれ世の中

                             徳大寺実定 141

ながむべき残りの春をかぞふれば花とともにも散る涙かな

                             俊恵法師  142

花もまた別れん春は思ひ出でよ咲き散るたびの心づくしを

                            殷富門院大輔 143

散る花の忘れがたみの嶺の雲そをだにのこせ春の山風

                             藤原良平  144

花さそふなごりを雲に吹きとめてしばしはにほへ春の山風

                             藤原雅経  145

惜しめども散りはてぬれば桜花いまはこずゑをながむばかりぞ

                             後白河院  146

古郷の花のさかりは過ぎぬれど面影さらぬ春の空かな

                             源経信   148

たがためにか明日は残さん山桜こぼれてにほへ今日のかたみに

                             清原元輔  150

 

 

 

 新古今以後‘散る桜’はすっかり陳腐化してしまう。桜にかぎったことではないが、新古今でありとあらゆる技巧のかぎりがうたい尽くされたために、もはや工夫の余地がなくなってしまったかのようだ。

 

 それでもいくつかの‘散る桜’を拾ってみる。

 

 玉葉・風雅の主役、京極為兼。

ひとしきり吹き乱しつる風はやみて誘はぬ花ものどかにぞ散る            風雅228

 

 永福門院に仕えた永福門院内侍。

散り残る花落ちすさぶ夕暮の山のはうすき春雨のそら            風雅247

 

 二条派の代表女流、二条為子。

散るは憂きものともみえず桜花あらしにまよふあけぼのの空         続後拾遺120

  

 室町の歌人、正徹。

山ざくら苔の筵にちりぞしく夢はふたたびかへる枕を

 

 その弟子、心敬。

花ならぬ身をもいづちにさそふらん乱れたる世のすゑの春風

 

 江戸中期。「ただことうた」を唱えたという小沢蘆庵。

惜しみかねまどろむ夢のたましひや花のあととふ胡蝶とはなる

 

 良寛。

かぐはしき桜の花の空に散る春のゆふべは暮れずもあらなむ

 

 桂園派の領袖、香川景樹。

 照る月のかげにてみれば山ざくら枝うごくなりいまか散るらむ

 

 江戸末期の風狂の人、安藤野雁(1815-67)。

時ならぬ風や吹くらし桜ばなあはれ散りゆく夕暮の空

 

 

 

 

 近現代の歌人たち。(小文字英数は歌人の生年)

 

櫻花ひとときに散るありさまを見てゐるごときおもひといはむ

                     窪田空穂(「清明の節」S43)m10

 

後世(ごぜ)は猶今生(こんじやう)だにも願はざるわがふところにさくら来てちる

                     山川登美子(「明星」掲載M40)m12

 

雪の上に春の木の花散り匂ふすがしさにあらむわが死顔は

                     前田夕暮(「夕暮遺歌集」S26)m12

 

いやはてに鬱金櫻のかなしみのちりそめぬれば五月(さつき)はきたる

                     北原白秋(「桐の花」T2)m18

 

ゆるらゆるら黒牛はゆく櫻ばな散れどもちれど知らずげにゆく

                     九条武子(「薫染」S3)m20

 

櫻の花ちりぢりにしも

 わかれ行く 遠きひとり

 と 君もなりなむ

                     釈迢空(「春のことぶれ」S5)m20

 

咲きこもる櫻花(はな)ふところゆ一(ひと)ひらの白刃(しらは)こぼれて夢さめにけり

                     岡本かの子(「浴身」T14)m22

 

さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘の鳴りくる

                     明石海人(「白描」S14)m34

 

風吹いて櫻花(あうくわ)のさつと散り亂るはやどうとでもわがなりくされ

 前川佐美雄(「大和」S15)m36

 

散りはてしのちのしばらく総身にさくらの花の影うつりゐる

 葛原妙子(「縄文」S27)m40

ぬばたまの夜はすがらにむかひゐる盲目テレヴィにさくら散りたり

 葛原妙子(「鷹の井戸」S52)

 

たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸(いき)づまるばかり花散りつづく

 斎藤史(「魚歌」S15)m42

 

すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり

 岡野弘彦(「滄浪歌」S47)t13

散り頻(し)きて墓をおほへる桜の花なきたましひも出でてあそべよ

 岡野弘彦(「飛空」H3)

 

夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん

 馬場あき子「雪鬼華麗」S54)s3

 

さくら花ちる夢なれば単独の鹿あらはれて花びらを食む

                     小中英之(「翼鏡」S56)s12

 

咲き急ぎ散りいそぐ花を見てあればあやまちすらもひたすらなりし

                     藤井常世(「紫苑幻野」S51)s15

 

逝く父をとほくおもへる耳底にさくらながれてながれてやまぬ

                     永井陽子(「なよたけ拾遺」S53)s26

 

今日にして白金(はっきん)のいのちすててゆくさくらさくらの夕べの深さ

                     松平盟子(「プラチナ・ブルース」H2)s29

 

水流にさくら零(ふ)る日よ魚の見るさくらはいかに美しからん

                         小島ゆかり(「月光公園」H4)s31

 

風狂う桜の森にさくら無く花の眠りのしづかなる秋

                     水原紫苑(「びあんか」H1)s34

 

さくらさくらさくら咲き初め咲き終りなにもなかったような公園

                     俵万智(「サラダ記念日」S62)s37

 

乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる

                     辰巳泰子(「紅い花」H1)s41

 

わあと鳴る桜 ほっほと息をつぐ桜 散るまで走る花の日

                     梅内美華子(「火(ほ)太郎」H15)s45

 

銃声は空にひびきて戦死者の数だけさくらさくら散り初む

                     鳥居(「キリンの子」H28)未詳

 

 “さくら”のリフレイン、“さくらながれてながれてやまぬ”。冷徹な自然の摂理あるいは抗いがたいさだめのようなもの …。中世の歌人たちが‘散る桜’にあわれやはかなさを見ながらもあくまでもその美を詠っていたのに対し、近現代の歌人たちはそこに不穏な兆し・切迫した運命・寂寞の思いをかさねる。つかい古された桜をめったやたらに詠いはしないが、いざ取り上げるとなればそれぞれの深い思いが込められる。

 (辰巳泰子のうた。はるか遠くのあのうたとひびきあう。― 花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに ― うつりゆく花、古る、降る、眺める長雨…。)

 (梅内美華子のうた ― 57577の韻律に合わせて詠めば次のとおり。「わあと鳴る/桜 ほっほと/息をつぐ/桜 散るまで/走る花の日」。このとき、表記されたとおりの意味上の区切りを同時にイメージすれば、ふたつの‘桜’の語がぽつりぽつりと浮かびあがる。なんとも不思議なうただ。)

 

 ‘散る桜’ではないけれど、次のような桜も ―。

  

さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

                         馬場あき子(「桜花伝承」S52)

 

 

 

 

 Jポップ。

 ちょうど2000年頃から、しきりに‘桜’ソングがつくられる。そのほとんどが ‘散る’桜を歌うものだ。あたかも軍歌にうたわれた‘散る’桜の呪縛が解けたかのように。

 

 aiko「桜の時('00)」- 詞:aiko

 “春が終わり夏が訪れ桜の花びらが朽ち果てても”“今日とかわらずあたしを愛して”

 

 福山雅治「桜坂('00)」- 詞:福山雅治

 (このうたには‘桜坂’という地名だけで‘桜’という語は出てこない。)“花はそっと咲くのに”“季節は変わるけど”“君じゃなきゃダメなのに ひとつになれず”

 

 森山直太朗「さくら('03)」- 詞:森山直太朗

 “さくらさくら今、咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って”“さらば友よ旅立ちの刻”“またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で”

 

 ケツメイシ「さくら('05)」- 詞:吉田大蔵

 “さくら散りだす 思い出す”“変わらない香り 景色 風 違うのは君がいないだけ”

 

 コブクロ「桜('05)」- 詞:小渕健太郎

 “桜の花びら散るたびに届かぬ 思いがまた一つ”“追いかけるだけの悲しみは…いつまでも変わることの無い”

 

 中島美嘉「桜色舞うころ('05)」- 詞:川江美奈子

 “桜色舞うころ 私はひとり 押さえきれぬ胸に 立ち尽くしてた”

 

 いきものがかり「SAKURA('06)」- 詞:水野良樹

 “さくらひらひら舞い降りて落ちて”“君がいない日々を超えてあたしも大人になっていく こうやって全て忘れていくのかな”“この夢を強く胸に抱いて さくら舞い散る”

 

 DREAM COME TRUE「めまい('06)」- 詞:吉田美和

 “降るように突然に 車の上 桜が散ってる”“めまいがするほど 散りだした花は…ぽっかり空いてた隙間 埋めるように 降る”“どんな どんな顔で あなたを 見送ったんだろう? 明日からはもう 会えないのに”

 

 Janne Da Arc「振り向けば…('06)」- 詞:YASU

 “今日 最後の制服 … この校舎で初めて出逢った時”“ずっと覚えててください また思い出してください 桜舞い散る今日の二人流した涙は”“辛くても春がくる度また 桜は咲くから”

 

 absorb / 初音ミク「桜ノ雨('08)」-森晴義

 “教室の窓から桜ノ雨 ふわりてのひら心に寄せた”“忘れないで 今はまだ…小さな花びらだとしても 僕らはひとりじゃない”“忘れないで いつかまた…大きな花びらを咲かせ 僕らはここで逢おう”

 

 エレファントカシマシ「桜の花、舞い上がる道を('08)」-詞:宮本浩次

 “桜の花、舞い上がる道をおまえと歩いて行く”“夢や幻じゃねぇ くすぶる胸の想い笑い飛ばせ桜花”“輝く時は今 そして胸をはって生きていこう”

 

 GReeeeN「遥か('09)」- 詞:GReeeeN

 “窓から流れる景色 変わらないこの街 旅立つ 春風 舞い散る桜 憧ればかり強くなってく”“必ず夢を叶えて 笑顔で帰るために”

 

 レミオロメン「Sakura('09)」- 詞:藤巻亮太

 “さくら さくらの花びらは綺麗すぎて たまに胸が苦しくなってしまうけど 散っても舞っても花吹雪の中を進んでいこう そしてまた逢える日まで”

 

 AKB48「10年桜('09)」- 詞:秋元康

 “どこかで桜の花びらが はらりと風に舞うように…一人きりで歩き出すんだ”“10年後にまた会おう この場所で待ってるよ”

 

 AKB48「桜の木になろう('11)」- 詞:秋元康

 “花びらのすべてが散っていても 枝が両手広げながら待っている”“時に一人 帰っておいで”

 

 宇多田ヒカル「桜流し('12)」- 詞:宇多田ヒカル

 “開いたばかりの花が散るのを…残念そうに見ていたあなたは とてもきれいだった”“もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない まだ何も伝えてない”“どんなに怖くたって目を逸らさないよ 全ての終わりに愛があるなら”

 

  湘南乃風×MINMI「さくら~卒業~feat.MINMI('13)」-詞:湘南乃風×MINMI

 “桜が舞い散る 新しき旅が始まる”“卒業から始まることもある 未来は … 傷つきながら 輝きながら 進むのさ 咲くまで”

 

 中森明菜「ひらり -SAKURA-('16)」- 詞:新藤晴一

 “散るがさだめなら河に落ちゆけ桜よ”“彼の海にたどり着け 揺蕩(ただよ)うまま 私を待っていて 桜” 

 

 半崎美子「サクラ~卒業できなかった君へ~('17)」- 詞:半崎美子

 “桜 花びらが散るあの日この場所で ひらり風に吹かれて 何を思っていたんだろう 桜 花びらになり いつか逢いに行く 桜 花びらが舞う 一緒に見ていた夢を ふわり空にのぼった あなたに送りたい”

 

 別離、あるいは再会を期す約束・願望。

 桜の季節 = 卒業、入学、あるいは就職、退職、転勤といった現代の人事事情が反映されてもいるのだろう。曲のリリースも、当然にその時季の直前の2~3月がほとんどである。(ただし東日本大震災を踏まえてつくられた宇多田ヒカルの曲は12月のリリースだった。)

 

 ひと頃さかんにつくられた桜ソングも、最近はめっきり耳にしなくなった。曲はともかく、歌詞は同工異曲、陳腐化が避けられなくなったのだろう。

 

('20.3/27)