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井上尚弥 vs 中谷潤人 ― ボクシングという芸術

 

 凄い試合だった…。

 まるで剣豪同士の真剣勝負のような。一瞬でも隙を見せたほうが致命的なダメージを負う。息ができなくなってしまうほどの緊迫感。

 自分ごときが賢しげに喋々できるレベルのものではないが、リアルタイムではとても追いきれなかった攻防の仔細をあらためれば、そのとんでもない技の応酬がまざまざと見えてくる。      ☞

 

 

 1R。

 左のフェイントをかけてから踏み込んで右ストレートを打つ井上。中谷、バックステップでこれをかわしながら左フックのカウンター。あわや顎を捕らえたかとみえたが井上スウェーしてこれをかわす。 

 中谷の左は、ほとんど前のめりになった井上の視界に入ってなかったはず。このカウンターがくることを予め織り込んだうえでの攻撃だったのか。


 

 2R。

 スタンスを広げ、腰を落として懐深く構える中谷との距離を詰めるためには思い切って飛び込んでいかなければならない。だがそれこそ中谷の待ち構えるところ。強烈な左フックのカウンター。ほとんど顎をかすったかというほどのぎりぎりでこれをかわす。こんなディフェンスの動きは井上でなければできない。


 

 4R。

 ジャブの差し合いからの井上のストレート。(この踏み込みの歩幅の大きさ!) だがすかさず中谷の強烈なパンチが待ってましたとばかりに振り下ろされる。井上これもスウェーしてきわどくかわす。

 こんな反撃を食らうリスクを負いながらひるまず自ら仕掛けていく井上の気持ちの強さよ。


 

 6R。

 前Rあたりから中谷が積極的に仕掛けてくるように。激しい応酬。しかし双方の見事なディフェンス。どちらもクリーンヒットは打てていない。

 

 


 

 8R。

 視界の外から飛んでくるようなリーチの長い中谷のフック。中谷が距離をとる作戦から接近戦を挑むようになり、井上がアッパーカットを繰り出す。中谷これをしっかりガード。

 


 

 9R。

 中谷のトリッキーなパンチ。それを見切ってディフェンスしながら、打ち終わりに合わせた反撃のパンチを繰り出す。一瞬の油断も許されない緊迫の攻防。


 

 11R。

 踏み込んでジャブ、ストレートを撃つ井上。中谷バックステップしてこれをかわす。そしてすかさずワンツー。深く屈んで外した井上にさらにアッパーカットを見舞う。井上ぎりぎりでこれもかわす。そして! 屈んだ姿勢から立ち上がりざまの右アッパー。これが中谷の左目を直撃! この試合最大の有効打となった。


 このパンチで中谷は眼窩底骨折を負う。血が流れ左目はずいぶん見えにくくなったはず。このあと井上はさらなる攻勢に出るが、決定打を奪うことはできない。中谷の依然ひるまないファイティングスピリットもあって攻めきれなかったようにも見えたが、あえてトドメを刺さなかったのでは、などという憶測も呼んだ。(タイソンやメイウェザーが慈悲だとか美学だとか武士道だとか語ったという動画もあるようだがでっち上げのガセネタだろう。)

 井上自身は記者会見で“このまま叩きのめそうという気持ちが100%ではなかった”“ちょっと複雑な感情…初めてでした”と語っている。

 この試合を振り返って“打ってはずして、技術戦 … お互いが楽しんでいる、試合をしながらそんな感覚ですごく楽しい試合でした”とも語っている。常々弱い相手とはやらない、といい、あのキャリア唯一最大の危機に陥ったドネア戦でさえ、いやそれだからこそ被弾して血を流しながらも井上はむしろ充実した楽しそうな笑みを浮かべていた。

'19年ドネア戦 .
'19年ドネア戦 .

 今、自分と互角に渡り合う中谷との緊迫した闘いが、この11Rで終ってしまってほしくない、このまま最後まで中谷と拳を交わし続けていたい、そんな気持ちが働いたのではなかったか。

 終了のゴングとともに、ふたりは心底からお互いをたたえ合う。

 勝った井上はもちろんのこと、敗れた中谷の評価もむしろ上がった。

 これがボクシングだというような、ほとんど芸術作品というべき試合だった。