テニスコートへの道すがら、あやめの群生を見る。
このあたり、野生とも園芸種ともいえないような花々が季節ごとに咲いて、きっと誰かが丹精しているのだろう。そう推しはかっていたら、花群のほとりにこんなメッセージが。 ☞
“種・苗・肥料等の購入代金にします。募金にご協力お願いします。”
‘かはづ会’とあって、代表者の住所・携帯電話まで記してある。募金箱の傍らには“お持ち帰りください”と袋詰めの野菜が。
なるほど、こういう人がいたんだなあ。これは協力しないわけにはいかない。
若干の謝意を。代わりに絹さや1袋を頂戴する。
ほかでもあちこちにあやめを見る。なかには1本だけで、すっと立っているのも。そういう花なのか?
ほとゝぎすなくやさつきのあやめぐさ あやめもしらぬ恋もするかな
古今集巻第11恋哥1の冒頭歌。読み人不知。大岡信が唱えた仮説では、古今集の見事なながれから考えると、あまたの‘読み人不知’のうたは歌集の展開をスムーズにするために貫之が覆面で詠んだのではないか、という。このうたも冒頭歌にふさわしいものをと貫之がつくったとしても不思議はありませんね。名もないしろうとではなく、手練れの‘職業’歌人の手になるもの、という感じがするではありませんか。
でも実はここで詠われている‘あやめ’はこのあやめ(花あやめ)ではないということを不明にして最近知った。昔のひとが‘あやめ’というのは‘菖蒲’のことで、この‘菖蒲’は花の咲く菖蒲園の‘花菖蒲’ではなく、あの菖蒲湯に入れる草のことなんだそうだ。この菖蒲には黄色い地味な花しか咲かない。(菖蒲はサトイモ科で、あやめめ・花菖蒲はアヤメ科だとか。)
花びらの根元の網目模様から‘文目’と名付けられたので、“あやめもしらぬ”=“筋道も分からなくなっている”…なるほど、と思っていたんだけど、違ったんですね。