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「一度きりの大泉の話」

 

 萩尾望都の「一度きりの大泉の話」はせつなくて、そして怖るべき手記だ。

 宣伝の惹句やサマリーなどを見たときには、“萩尾望都ほどの作家が過去の確執にいちいち目くじらを立てるとは”とか“細々としたいきさつを今さら掘り起こすことに意味があるのか”とも思ったのだが、一読してそんな先入観は跡形もなく吹っ飛んだ。  ☞

 しかし、この本は安易に内容を要約したり、判定者づらした薄っぺらな批評を垂れるべきものではない。

 せつなくて怖るべき、と言った。ひとつには勿論、この手記を書くことによって、あれほど細心の注意を払って‘封印・冷凍’していたはずの記憶を‘解氷’し、50年を経てもなお生々しい傷口を蘇らせねばならなくなったこと ―。

 そしてもうひとつ ― 。この手記を出版することは、自らばかりでなく、確実に竹宮惠子を傷つけることになるだろう。論駁したり、意趣返したりすることを意図しているわけではないにもかかわらず ― 。萩尾望都ははっきりこのことを自覚し覚悟したはずだ。

 この本についての直接の言及ではないが、彼女は次のように書く。

 私は人を傷つけたくない優しい人間なのではありません。意識的に人を傷つけることもできます。意識的な時は、覚悟を決めて傷つけます。(p286)

 ‘思い出すのが辛い’ので当初インタビュー形式で話したことを元にして‘ほとんどカウンセラー対クライアントの気分(p334)’だったというのがなるほどと思える、どこか供述調書を連想させるほどに覚束なげだった文体は、このあたりから、決然とした相を見せはじめる。登場人物たちを冷徹に見据えた、あの「残酷な神が支配する」の眼差しが、“作家としての萩尾望都”が、ここにきて当人になり代って顕ち現れる。登場人物は、萩尾望都自身と竹宮惠子だ。そして二人ともが改めてふたたび傷つく。

 本当に私さえいなければ、あの幸福な時間は、完成していたのです。/私はそう理解します。理解しますけど、謝りません。なぜなら原因は双方にあって、双方とも傷ついたからです。/理解はしても、解決はできません。そういうことではないかと思います。(p275)

 竹宮惠子は二度と‘大泉サロン’を語ることができなくなるだろう。

 萩尾望都は自分一人の心の奥底にずっと‘冷凍’していたはずの傷を衆目に曝すことになるだろう。

 そして当然のことのようにして、この本は大きな反響を引き起す。(ネット掲示板では萩尾派、武宮派それぞれのスレッドが立ち、「一度きりの-」のアマゾンのレビューにいたっては千を超える投稿がされている。)

 そうなってしまうことは本意ではないけれど、せめてこれ以上、自分を‘大泉サロン’なるものに引きずり込まないでくれ。‘永久凍土’。萩尾望都はふたたび‘大泉’を地中深くうずめる。

 

 論じようとすればきりがない。

 …だが、もうこの手記について賢しげに喋々するのはやめよう。

 萩尾望都という不世出の作家に対してそれが払うべき敬意というものではないか。

 

 

 なんだか重苦しい話になってしまったので、他愛ないことを書きます。

 

 いろいろネットを見ているうちに、萩尾望都が大島弓子のアシスタントをしたことがあって、それは「海にいるのは…」だ、という記述をみつけた。(この出所を明記すべきだろうが、改めて見つけられない。すまん。)

 一本立ちしている作家同士がアシスタントしあうのは「一度きりの-」のなかでも描かれているけれど、萩尾と大島の交流は特に触れられていない。しかし、大島は小学館文庫版の「精霊狩り(萩尾)」の解説で、萩尾は「銀の実を食べた?(大島)」の解説で、それぞれ讃辞を捧げている。「海にいるのは…」は「別冊少女コミック」に発表された作品で、ここをホームべースにしていた萩尾が編集者に手伝ってやってくれと頼まれたのは十分ありえることだろう。だいいち、萩尾望都と大島弓子という2大作家の接点というのはなんとも心惹かれる話ではないか。

 

 で、萩尾がアシスタントしたという大島作品の箇所はどこか?

 

 

 

 

 私の見立てはここだ。

 斜め仰角の洋館 + 雨 + 黒いシルエットの木の葉 ― 。これはこの頃の萩尾作品にも何度か現れる。

 

 

 


 どうでしょう? 

 「海にいるのは…」は1974年作品。「11月のギムナジウム」はこれに先立つ1971年。「トーマの心臓」はまさに同じ1974年だ。

 大島が萩尾に『モーさま、ここ、あそこみたいな感じでお願い』などと言っているのを想像するのは楽しい。

 

 さらに ―

 

 

 

 

 アシスタントに任せるのは、まあこんな場面の埋め草的な葉っぱなんかだろうけど、はたしてこの葉は萩尾望都か?

 ちょっと、確信はできないですねえ。

 

 でも、この葉っぱは大島弓子的でもない。

 大島がよく描くのは、新緑のようなもわもわっと萌えるような葉だ。

 一枚いちまい描くにしてもこんなにかっちりとは描かない。もっとラフですね。次のように ― 。


 一方、萩尾望都が描くのはもっと肉厚な常緑樹の葉っぱが多いですね。舞台設定にもよるけど。

 (萩尾望都は「トーマの心臓」を連載するにあたってドイツの樹木分布や年間降雨量、気温、日の出・日没時間まで調べたそうだ〈「一度きりの-」p218-〉。「残酷な神が支配する」では英国で首を吊るにはどの木がいいかリサーチしてオークにしたとも書いている〈同書3巻カヴァー折り返し〉。)

 大島弓子はこんなことはしないような気がしますね。もっと感覚的に処理しちゃいそうな…。

 ちなみに、この画面の葉っぱの描き方は、竹宮惠子が「少年の名は-」で萩尾望都に“圧倒され”“自身の表現への不安を日々意識させられるという、精神的に非常にきつい場所にもなっていった。〈p137-139〉”ことの一例として挙げているやつですね。時間的には次のだろうけど(「白き森 白き少年の笛」1971年)。

 “萩尾さんの新しさを示す例はほかにもある。/重なる木々の間を少女が歩く。そんなシーンを読みながら、あっ、と気づいた。/折り重なる枝の葉にその形を伝えるラインがなかった。縦の斜線のみで描かれている。葉を示す輪郭線がない。輪郭がないままに葉が描かれていて、その葉の集合体が、茂みのように見える。さらにその茂みに見える葉の集合体が絵の奥のほうに向かうにつれて輪郭がぼやけ、遠近を感じる深い森になっている。/本当に緑の深いところにいるのだなとわかるような背景を描く。深呼吸したくなるような緑の空間。そこに静かに流れる風さえも感じることができた。/圧倒された。/この表現、誰もやってないよね、と私は思った。〈「少年の名は-」p137〉”

 

 ふう、また大泉の話に戻ってしまったよ。でも竹宮惠子は竹宮惠子なりにとても正直にあの本を書いたと思う。

 「一度だけの大泉の話」を読んだのをきっかけにして、20年以上前に今の家に引っ越した時のまま十数箱のみかん箱に詰め込んでいたマンガを引っぱり出した。

 今読むのはちょっとしんどいのもあるけど、改めて萩尾望都や大島弓子の作品は不滅の輝きを持っているなあと感嘆する。大島弓子はもう描いていないみたいだけれど、萩尾望都は今も現役だ。またちょっとずつ読んでみようかな。