今年のうた三首。
三越のライオン見つけられなくて悲しいだった 悲しいだった
平岡直子
4月に上梓された第一歌集「みじかい髪も長い髪も炎」に所収。(初出は短歌誌「歌壇」'12年3月号)
三越のライオンは渋谷のハチ公同様の待ち合わせスポット。すなわち単純に考えれば、待ち合わせの約束を果たせなくて悲しかった、といううただということになる。さらに三越という東京圏内の人間ならだれでも知っているスポットに行きつけなかった地方(長野県だという)出身者の屈託、などとも言えてしまいそうだ。
だが悲しかったのは、ただ待ち合わせに失敗したからではあるまい。日々の些末な行き違い、軋轢、生きづらさ、自分という存在の居心地の悪さ…それらもろもろが折り重なって、言葉はつい関節が外れたようにつんのめり、つまずくのだ。‘悲しいだった 悲しいだった’と。あたかも、悲しみの‘原型’ともいうべきものが、不意に顕ち現れたかのようではないか。
満ちゃんの選んだ遺影は満ちゃんで笑っているけど泣いてるみたい
山本智恵
僕が死んだらこの写真を使ってね、と満ちゃんは言った。余命はすでに宣告されていたから、それはそれで唐突な話でもなかった。病み衰えてしまった今の面立ちとずいぶん違っているけれど、やっぱりそれが自分のよく知っている満ちゃんだった。言われたとおりに額縁に入れて立てかけてある写真の中で、満ちゃんははにかんだように笑っている。でもそれが泣いているように見えてしかたがないのはどうしたわけだろう…。
読者投稿の朝日歌壇('21.11/21)に、選者永田和宏が第一首目として採ったうた。
烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に
(令和3年歌会始)眞子内親王
どうしたはずみか、およそ4千年後の研究報告書と推察される文書が、時空を超えてループしわたくしのPC上に表示された。以下にその内容を転載する。
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かつて用いられていた紀年法である西暦の二千二十年頃に、一民間人が後世に残すべき史書として編纂したと思われる文献が発見された。
中でも注目されるのは、今日に伝承されるフォークソング「ムチャカナブシ」のモデルとされる、一族からの脱出を試みた秋篠宮家眞子内親王に係る記述である。以下にその原文と読下し文を掲げる。
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故後亦不堪恋慕海王子而歌曰
加良須売理曾能美波佐由流朱能伊呂爾曾麻理而由気理布加麻流阿岐爾
如此歌即越海離國
故(かれ)後に亦、海の王子を恋ひ慕ふに堪へずして歌ひて曰はく、
烏瓜その実は冴ゆる朱の色に染まりてゆけり深まる秋に
如く歌ひて、即ち海を越え國を離(さか)りき。
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なお、この記述の末尾には執筆者によるメモのような記号が付されている。解読はできないが、とりあえず次に転記しておく。
“シアワセニネ”