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内村航平の落下

 

 マットに落下した瞬間の写真がネットにアップされていた。

 そのときの内村の表情を、なんといったらいいのだろう。しまった!というような落胆や呆然、後悔ではない。なんだ、そういうことだったのか、とその一瞬に悟ってしまったかのような表情に見えた。  ☞

 

 こんなときにスポーツをやっている場合だろうか、という疑問は、東日本大震災の際には、むしろ選手たち自身が自らに投げかけていた。だが、こんなときだからこそ、という人々の声に背中を押されるようにして、例えば、なでしこが、奇跡のようなパフォーマンスを実現した。(W杯で、アメリカのゴールキーパー、ホープ・ソロは“なにか特別な力が彼女たちを後押ししているかのように感じた”と語っていた。)

 だが、コロナ禍のなかでのこのオリンピックは、まったく逆だ。こんなときにオリンピックか、という声は、容赦なく選手たちを取り囲んだ。ニッポンを代表するオリンピアンとして、内村航平は特に見解を求められただろう。現に昨年の世界大会ではマイクを持って“どうにかできるような方向に”と訴えている。自分の願いというより、まだオリンピックを経験していない後輩たちへの思いが強かったのではないか。

 

 政局的、興行的な思惑から強引に実施されるオリンピック。もちろん選手たちにまったく咎はない。‘雑音’をシャットアウトして“自分にできることをやる”と自らに言い聞かせるしかない。だが、目前の目標にがむしゃらになれる初参加の選手より、オリンピックをすでに3度も経験している内村が同じような気持ちでいられたかどうか。

 観客もなく声援もほとんどない会場に立ったとき、なまじ‘いつもの’雰囲気・熱気を熟知しているだけに、このオリンピックが今までとまったく違うことを否応なく実感したはずだ。こんなときにほんとうに演技などしていていいのだろうか、という思いが、改めて脳裏をよぎらなかっただろうか。

 “自分としては…強い気持ちでやってきたつもりですけど、ほんとにつもりだったのかなっていう…”と競技後のインタビューで内村は語った。また、“(個人種目の一枠を競った)米倉に土下座して謝りたい”とも。初参加の後輩だったら、余計なことは考えずに無心に取り組めていたはずではなかったか、とも思ったのだろうか。

 落下した時のあの表情 ― 。ああ、やはり自分はほんとうは納得していなかったのだ、と悟ってしまった瞬間ように思えて仕方がない。