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甘うて 冷ようて …

 

 「この世界の片隅に」は実に丁寧に練りあげられた作品だ。

 連載が始まる前に、主人公すずの幼少期のエピソードが単発で3話発表されている。(うちひとつは1年ほどまえ、本編の連載誌とは異なる月刊誌に掲載されている。)それはその後の物語の重要な伏線になっていて、作者が当初から周到にプロットを組み立てていたことが分る。 ☞

 すなわち、3話にそれぞれ登場する人物 ― 夫になる周作、遊女リン、幼なじみの水原 ― は、その後すずとからみあう縦糸となってストーリーを織りなしていくことになる。

 とりわけリンはこの物語に奥行きの深さをもたらすキーパーソンであり、リンを巡る部分をほとんど省いてしまったという最初のアニメ版は、監督も認めるように原作とは別物というべきだろう。(“「そこを作らないと話にならないよ」って文句を言う人が出てきて、また続編を作れるかもしれない”〈ユリイカ'16.11〉)

 この初めのバージョンを衆人受けする形で大ヒットさせ、その興行収益をもってより原作に忠実な長尺バージョンを新たに制作する ― これが当初から織り込み済みだったとすれば見事な戦略というほかない。だがむしろ、一縷の望みを持っていたというあたりが実際のところだっただろうか。(アニメ版は見ていないので、作品としての評価はくだしようがないが。)

 本筋のストーリーが緻密に組み立てられ、しかも融通無碍に語り口や画風を使い分けているのも見事だが、直ちには分からないような形であちこちに(多分かなりおおくの)ささやかな“しかけ”が、散りばめられていることにも舌を巻く。

 (“すぐに分かるように描くと肝心のテーマとのバランスが崩れる場合があるので、あとは読者が気づいてくれればそれはそれで楽しいかな、くらいに思っています” ― と作者は語っている。〈文春オンライン 19.12/15〉)

 そのひとつ。

 朝日遊郭で迷子になったすずは、リンに‘あいすくりいむ’を描いてくれと頼まれる。食べたことも見たこともないすずはそれがどういうものかわからない。“知らん? 甘うて 冷(ひ)ようて うえはーが付いとって”。 あらためて描いて持っていった‘あいすくりいむ’は茶わんに入ったシロモノになってしまい、“エ!! これがあいすくりいむかね!?”といわれてしまう。

 だが、リンはどうして‘あいすくりいむ’を描いてくれと頼んだのか。

 終盤のもっとも重要な「第41回りんどうの秘密」で、リンの生い立ちが描かれる。(うっかりすると、それがすずの失われた右手とリンの同僚テルの遺品の口紅で描かれたものであることを見過ごしてしまいそうだ。)

 子守に出された家から逃げ出したリンは老女に声をかけられて遊郭に連れていかれる。その際にリンを手なずけるべくカフェーで‘あいすくりいむ’を食べさせてもらうのだ。無邪気に満足そうなリン。粗い描線なので、それが‘あいすくりいむ’だとはよくよく見ないとわからない。だが、次のページに、さりげなく、しかしはっきりと‘うえはー’が付いた‘あいすくりいむ’のカットが挿入される。すずに描いてくれと頼んだ‘あいすくりいむ’はそのときの‘あいすくりいむ’だったのだ。

 この回で、すずはリンが死んでしまっていることを知る。すずがあらためて“ただしく”描いた‘あいすくりいむ’は亡きリンに手向けたものなのだ。