横浜人形の家。「ひな人形展 - 江戸から現代に伝わる桐塑人形の技術」が開催されると知ってときめいたのは、ひな人形に興味があったからではない。
このミュージアムは実にありとあらゆる人形を所蔵しているのだが、わたし的に唯一最大の関心があるのは、ここに山本福松の‘生き人形’があるからだ。 ☞
ところが、数年前から、それまで常設されていたこの人形が展示されなくなってしまっていた。
生き人形は桐塑である。この機会に福松人形が復活するのでは…?
確認の電話をしてみると、なんと、半年前から常設に復帰している、というではないか。矢も楯もたまらず横浜に。
いた!
福松の生き人形は10体足らず?しか現存していない。それらはほとんどが個人が愛蔵していて、写真には見るものの現物が公開されているのは、この子のほか、伊香保にもうひとりいるくらいだろうか。(写真で見るもののなかには、もしかしたら贋作?と思わせるものとか、後から粗雑な修復がされたのでは…というようなものも。)
だが、この子は福松のなかでも断トツにいい!
ここが有難いのは、「館内撮影自由」だということ。
以前の展示のときは、大きなショーケースのなかに入っていたから、ほとんど正面-斜め正面くらいからしか見られなかったが、今は真横からも見られる。
うろうろ小一時間ほど、行ったり来たりしながら、写真を何枚も撮る。幸い雪になるかもというような雨模様で、参観者もまばら。
山本福松(明20-昭36)の人形は注文制作だったそうだ。(なかには、死んだ子供の姿を…というオーダーもあっただろう。)
だが、この子は福松の実の娘がモデルだという。そのせいか、他の人形に比べてもとりわけて自然で飾り気がない。
(そこが妙に媚を売っているような現代の人形との決定的な違いだ。)
自分の子供の頃というのははっきり思い出せないけれど、いずれにしろ子供というのは、まったくの空白状態で世界に投げ出されるわけで、“ここはどこ、私はだれ”どころか、“ここはなに、私はなに”と (この‘哲学的’!命題に) なす術もなく世界と対峙することを余儀なくされている。(そのうち、なんとなく分ったような気になって大人になるわけだが。)
この表情を見ていると、子供が (実は大人も含む総ての人間が) 宿命的に持つそんな‘あわれ’を感じないわけにはいかない。
いま、ビスク焼きでこの人形を摸刻しようとしているのだが、さて、そんな気配まで移しとることができるだろうか。(もう、ペイントの直前まで進んでしまっているのだけれど…。)