童泉坊:あけましておめでとう。
ツネ子:え、ああ、おめでとう。…で、なにがおめでたいの?
童:なにがって、だって、お正月じゃないか。
ツ:お正月だと、なんでおめでたいのよ。
童:そういわれても…。そうだな、まあ、昔は数え年で、正月に無事齢を重ねることができたってことで、おめでとうだったんじゃないか。 ☞
ツ:今と関係ないじゃないの。
童:まあ、…そのなごりと、生活をリセットして、新鮮な気持ちで新しい年を迎えるぞってことだな。
ツ:ふん、あたいたちにはどうでもいいわね。
童:そういいなさんな。君も去年は引きこもりになったり、大水槽からここに引っ越ししたり、いろいろあったじゃないか。(⇒ 19.4/28,6/3記事をご参照あれ)
ツ:そうだったかしら。あたいたち金魚のいのちって短いから、何か月か前なんて、大むかしなのよ。
童:へえ、そう。でもまあ、すっかり元気そうで、こういっちゃなんだが、以前はちょっと冴えない女の子だったけど、ずいぶんきれいになったよ。
ツ:おかげさまで。
童:ヒレもなかなか立派になったし、体もおおきくなってきたじゃないか。
ツ:それでね、このところ、この金魚鉢、ちょっと窮屈になってきたのよね。
童:えぇ、金魚鉢はいちどひと回りおおきいのに替えたばかりだぜ。
ツ:だって見てよ。ひと泳ぎするとすぐつかえちゃうのよ。
童:植木鉢の植え木とおんなじだなあ。入れ物に合わせてどんどん大きくなっちゃうんだ。
ツ:失礼ね。植え木といっしょにしないでよ。
童:植え木もばかにしたもんじゃないさ。何百万円もする盆栽だってあるんだぜ。
ツ:ふん、どうせあたいなんか650円よ。なによ。
童:そうすねるなよ。マリリン・モンローなんか孤児院から大スターになったんだぜ。
ツ:ふん。
童:ところで君のその‘あたい’っていうのさ、どうにかならんかね。
ツ:あんた、ムロー・サイセエっていうひとの「蜜のあのね」って読んだことないの。あの姉さんいらい金魚はみな‘あたい’っていうことになってるのよ。
童:ああ、それをいうなら「蜜のあわれ」だな。なるほど。ふふ、…ていうと、ぼくのことはさしづめ‘おぢさま’っていうことになるのかな。
ツ:なにいってるのよ。お金持ちで有名人でなきゃ、‘おぢさま’なんて呼べるもんですか。
童:そんな…
ツ:それでさ、金魚鉢の掃除をするときに、あんた、あたいの尻尾に触ろうとするでしょ。あれ、やめてくれない。
童:いいじゃないか、ちょっとくらい。
ツ:それって、変態じゃない。
童:それくらいで変態はないよ。ぼくの知人の立派な学者で小説家でもある詩人はこんな詩を書いているんだぜ。“きらびやかな金魚を口に含み呑みこむのは倒錯したよろこびなのだろうか。…”
ツ:やだ。いま世界中で‘みーちゅー’とか流行っているのよ。あんた、たいへんなことになるのよ。
童:すいません。
ツ:そうそう、それから、あんた、ずいぶん夜更かしするじゃない。この前なんか、明け方の4時くらいまで起きてたわよ。
童:まあ、ね。本を読んだり、このブログを書いたりしてるんだ。
ツ:あれ、めいわくなのよね。おなじ部屋だから、明るくて、あたい、眠れないじゃない。お魚って目蓋ないのわかってるでしょ。やすながふきこっていう和歌をつくるひとが住んでたえづ湖じゃあ、魚や水鳥の安眠のために灯りをぜんぶ消してるんですってよ。
童:へえ…。それは悪かったよ。
ツ:だったら、起きててもいいから、あたいの金魚鉢をなにかで覆って明りが入らないようにしてちょうだい。
童:わかった、なんとかするよ。
ツ:お願いよ。ちゃんとしてくれたら、ちょっとくらいあたいの尻尾に触ってもいいわよ。
童:恐縮です。…なんだか「蜜のあわれ」にも似たようなセリフがあったなあ…。
[月刊「金魚マンスリー」新春特別号より]