私は〈歌の中の私〉を制御できなかった
― 奥井美紀歌集「地に湧く泉」
奥井美紀という歌人がいる。いや、いた、というべきか。
穂村弘の特集が目当の月刊誌「短歌」を捲っていたら、時評記事に福島泰樹がこの人の歌集「地に湧く泉」を紹介していた。そこに掲げられた何首かを見て、身悶えするかのようにうねる韻律にたじろぎながらも、知らぬうちに心をわしづかみにされるほどの衝撃を受けていた。
生(いき)のきはみに讃へのうたをたまはれなこのひもじさをたへおほすべく
きらきらとまぐはふ父母はなげきなりわれを結びし雪の夜のごと
母よいまあへがでわれを身ごもれな月かげあをく雪明りする
堪へさせたまへ黙(もだ)はげしきにかうかうとめしひて雪の眼底(まなぞこ)の涯(はて)
この韻律の異様な緊迫はいったいなにごとか。奇を衒った作品というものは世にいやというほどあるが、これはそれらとは次元が違う。
歌集は遡ること46年ほど前、'73年から'79年までの間に出された3冊の歌集を再録し、その後断絶して25年後の'04年から今日('18年)までの近作を1冊に収録する。そのギャップの大きさも‘衝撃的’だが、とにかくも作者24歳からの7年間のうたは他に類を見ないものだ。福島泰樹は、当時から「これらの作品に心を奮わせ」「羨望にも似た熱い視線を注いだ」といい、「この烈しく柔らかく、苦しく愛おしく、絡み合い溶け合い、一途に昇りつめてゆく韻律の妙! これは短歌でしか言い現すことができない世界。意味をではない、音の力! 読者よ、これらの歌を唇にのせ読んでほしい。」と書く。
だが、続けて福島が「体の中に命がおのずと漲ってくる」というのはどうか。単純にそう語れるものだろうか。3つの歌集「地に湧く泉」「スリシュティ」「かざぐるま」を通読すれば、その間には微妙な、しかしのっぴきならない変化が生じているのが見えてくるはずだ。
第一歌集「地に湧く泉」のうた。
目廃(めし)ひよといなびかりくる遠天(をんてん)を語りきつひのことば夜(よ)なりき
涙あふるる無風樹間よさんさんと髪のにほふも春のこだまか
掬へば残るわが手のかたち水炎(も)えてたれに告ぐべしこのひとことを
草踏んで樹海にくるめく怒りかも陽は木洩れつつ空より差しき
涙ながるるになんぞぬくきか海暮れなば雪霏霏(ひひ)うづまくガラスの壺よ
福島が参照した「現代短歌辞典('78)」によれば、奥井は昭和24年生れ、「山繭」所属という。「山繭」は自ら“山人”と称し、アニミズムの気を漂わせるうたを詠んだ前登志夫が主宰した結社である。この頃 '72年、前が上梓した「霊異記」のうた。
この父が鬼にかへらむ峠まで落暉(らっき)の坂を背負はれてゆけ
さくら咲くその花影の水に研ぐ夢やはらかし朝(あした)の斧は
狂ふべきときに狂はず過ぎたりとふりかへりざま夏花揺るる
奥井美紀は前登志夫につながるものを、なにかしら感じていただろうか。だが、このころの彼女のうたには明らかな独自の特徴がある。すなわち、自然・自然現象が詠まれると同時に、それに照応するかのような身体感覚が表出されるのだ。
目廃(めし)ひよ-いなびかり、涙あふるる-無風樹間、髪のにほふ-春のこだま、残る手のかたち-炎える水、踏む-草・木漏れ陽、涙ながるる-海・雪。
ここでの奥井の身体は、自然との親和もしくは緊張関係にある。すなわち身体は自然によって保証されている。
しかし、次の第二歌集「スリシュティ」ではどうか。先に掲げた福島が「心を奮わせた」という4首は、この集の頃から採られている。(「短歌」誌発表は同時だが、元歌集では分かれて編纂されている。) 重複を厭わず、何首かを掲げる。
生まれきて乳房恥(やさ)しくさんさんと花ふぶき舞ふこゑもなかりき
きらきらとまぐはふ父母はなげきなりわれを結びし雪の夜のごと
母よいまあへがでわれを身ごもれな月かげあをく雪明りする
なんすれぞこがれをさなく苦しめてつひにあはざる燃え飛ぶ一樹
とどめおくわれはなかりきわれは風虚空の夢を吹きわたるなり
天の碧落いのちくるしむ充溢の虚ろのふかく湛へてあれな
自然-身体感覚、という構図は一見踏襲されているように見える。だが、ここでの自然は、「地に湧く泉」に詠まれた“いなびかり”や“春のこだま”等に比べて、あきらかに現実感を欠いている。“花ふぶき”も、“雪の夜”も、“月かげあをく”照らされる“雪”も、“燃え飛ぶ一樹”も、幻視の事象のようだ。だから“風”も“虚空の夢”であり、“天”は“虚ろ”である。歌人の身体は、“いなびかり”に“目廃ひ”るような、“髪のにほ”いにふと“春”を感じるような、生々しい現実的な自然の手ごたえを失いかけている。このとき、詠まれるのは次のような痛切なうただ。
夢に醒むるさまよへる夢かきむだき愛(かな)しかりけりかなしかりけり
この傾斜は次の第三歌集「かざぐるま」でさらに顕著になる。そして、ついに異様な調べを奏ではじめる。
さらはれて風にさらはれいづくの空ぞほのほのもだへのもえひろごるぞ
たまひても地はやすらはず泉みよゆゑしれぬ亀裂ゆわきいづる見よ
いのち生くるはこらへがたしよわれはもわれはも是(こ)ぞみたし放てよ
いのちかへり来(こ)ゑまふ虚空をつつみてないのちかへり来こもり立ちてな
みひらかれなほも狂はずなごめてし萌え木の光なみだなりけり
はるかぜは小鳥おまへね春風は小鳥おまへねこもれ陽うたふ
もはや風も地も空も光も陽も観念的なものでしかない。歌人が拠り所にできるのは、いまや“言葉”だけだ。奥井の身体は、足掻き悶えるようにして“言葉”に取りすがる。その身体も、目、手、足、髪、乳房のような実体を失い、ついに“いのち”と呼ぶほかないものになる。だが、その一方で短歌の韻律に乗った“言葉”は、彼女の身体を置き去りにして疾走してゆく。うわ言のようなリフレインは、狂おしい祈りのようだ。
「かざぐるま」の後、歌の世界から去る直前と思われる頃に、「短歌」誌に詞書のような次の文が残る。
歌にのみこまれて来たところの自家中毒、それから私は逃れられない。私は〈歌の中の私〉を制御できなかった。告白の甘やかな恥をもてあそんだ。もはや私には、作品と呼び得る一首を望むことすらできないであろう。…(後略)
奥井美紀を捕えたのが自由律の詩であったり、シンガーソングライターの書く歌詞のようなものであったなら、彼女はここまでうたに翻弄されることはなかったのではないか。あるいはもっと安全な算段のもとにことばを操ることができたのではないか。
それでも奥井美紀のうたは、奇跡のように危険で魔的な響きを纏った。あたかも短歌という異次元の空間に踏み迷って、その意志に反してことばを強制的に吐きつづけさせられたかのようにして。
韻律の磁場がそうさせたのか。あるいは短歌の霊が、奥井美紀という人間の身体を借りてうたを奏でたのか。
若き奥井美紀が「短歌」誌上に発表したおそらく最後のうた。
ああ生き残りてわれら離(か)る海よたゆたふ空のまぶたにつむりませ
もはやこれ以上うたうことは、彼女にはできなかった。
ここで奥井美紀についての記述は終わるべきだろうか。
前述したように、この集の後段には、それから約25年を経てからの作品も収録されている。福島泰樹は、これにはまったく触れることなく、「短歌」誌上に二百数十首を発表した後、「杳として歌の世界から遠ざかって行った。」と記してしまう。
確かに、あの“奥井美紀”はもうどこにもいない。そこに見られるのはかつての面影もない愕然とするほどの別人である。
だがそのことを誰よりも自覚しているのは彼女(早川姓となったようだ)自身だ。還暦に際して初句に“若き日”で始まるの一連の作品がある。その一つ。
若き日に痛ましくもこもる空のなか生きのびてなほ若き日のある
あれはいったいなんだったのだろう、あれはほんとうに自分だったのだろうか…。
憑き物が落ちたかのように、いまやなんの気負いも衒いもなく早川美紀はうたう。一市井の短歌をたしなむ者として。例えば、孫をやさしく見守る祖母として(ビューンと耳がちぎれて落ちて行(ゆ)くすべり台だよもう一回だよ)。また信心深い善女として(「ののさま」と一切放下(はうげ)なさるればたよりなげなる空にうかぶる)。そして人生の終盤を迎えた老女として(人生を襤褸のごとく着古してみぞれ降る空老いは来たりぬ)。
わずか数首にのみ、フラッシュバックのようにして、かつての“奥井美紀”が微かに覗く。
たむけるは花のみくさぐさ世のなごり記憶の淵のとぎれるあした
おぞましき桜さくら滅ぶるをふるへせきあぐ声持たざりき
だが、あのうなされるように狂い舞う韻律が蘇ることは、もはやない。
永い空白を経たことを思えば当然かもしれぬが、いやそれにしても、この絶対的な隔たりに、あらためて驚く。
短歌の恐ろしさ、韻律の魔について。人生の残酷について。
あれはいったいなんだったのだろう…。あの〈歌の中の私〉はなにものだったのだろう…。
次のうたをもって、この歌集は閉じられる。
荷を負ひて縄の梯子を登りしが辿り着きしが白く、夢覚む
* この歌集に収められた歌にはすべての漢字にルビが振られている。(一方いくつかの文章にはほとんど振られていない。)このことを以っても、作者が自作をまず音-韻律によって感受されるべきものと考えていたと推測できるのではないか。しかしネット上の表記では煩雑になるためやむをえず難読のものに限った。
** 奥井美紀歌集「地に湧く泉」は私家版であり、通販サイトでも取り扱われていないが、早川図書という古書店から購入することができた。名称等からも、歌人と関わりのある店舗だろうか。
早川図書 東京都渋谷区幡ヶ谷3-51-5
tel:03-3378-0590
(2019.6/24 記)